加古里子さん死去 「子どもに生きる力を」 戦争体験で決意 - 東京新聞(2018年5月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018050802000139.html
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<評伝> 「大人に流されず、自分自身で考える力を子どもに養ってほしい」。二日に九十二歳で死去した加古里子(かこ・さとし)さんは昨年十月、「だるまちゃんシリーズ」の発行五十年を機に神奈川県藤沢市の自宅で取材した際、作品への思いをこう語った。

十九歳で終戦を迎えるまで、飛行機乗りに憧れた軍国少年。戦後、大人が敗戦の責任をなすり付け合う姿に失望して「子どもの未来のために生きる」と決意した。一九五〇年代、仕事の傍ら川崎市の工業地帯に通い、子どもらに手作りの紙芝居を見せる活動に加わったのもその一環だった。
本人の思いをよそに、子どもたちは紙芝居がつまらないとその場を離れていった。「トンボやザリガニを捕りに行ったりするのが、子ども本来の姿だと思った」。懐かしそうに振り返っていたのが印象に残っている。
その経験が絵本作家としての原点になった。「だるまちゃんシリーズ」の登場人物には、生き生きとした子どもたちの姿を映し出した。友だち思いの「だるまちゃん」、いたずらをして回る「とらのこちゃん」、筋骨隆々のライバル「におうちゃん」。「少しぐらい変わっていても、個性があっていい」との考えからだったという。
作品では、社会問題をたびたび取り上げた。一九八三年に書かれ、一昨年復刻した「こどものとうひょう おとなのせんきょ」では民主主義の大切さを訴えた。今年一月には、だるまちゃんシリーズ最後の三冊を発行。沖縄や東北の伝承に出てくる妖怪をキャラクターにし、米軍基地問題や、東日本大震災原発事故に苦しむ人たちへの思いを、子どもたちに託した。「嫌なこと、つらいことは全部庶民、一番弱いところにいくから」と、作品に込めた思いを語った加古さんはこうも話していた。「子どもたちには戦前の私のような過ちはしてくれるなと訴えたい」。その言葉を胸に刻みたい。 (布施谷航)