(子どもの権利保障)真っすぐ生きるために - 沖縄タイムズ(2018年5月5日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/247110
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昨秋出版された「沖縄子どもの貧困白書」(かもがわ出版)の冒頭、児童養護施設で育った金城さや佳さんが、こう記している。
私たちは望んで子どもの貧困の当事者になったわけではありません。私たちにもみなさんと同じように、親に愛され、日々の生活の知恵を得ながら、好きなことを望み、経験する権利はあるはずです。
足りなかった経験や愛情を自分のせいにする必要はありません。ましてや、「感謝」する必要もありません。
守られるべき権利や経験が守られていない、と声を大きく発信できる社会であるべきだと、私は思います。
金城さんは、求めに応じて当事者としてのストーリーを語ることに、次第に違和感を覚えるようになったという。家庭環境の厳しさや施設暮らしのつらさを乗り越え、周りに支えられ、立派な社会人になったと、社会への感謝をつづることへの違和感だ。
「子どもの権利」という考え方は、1924年、国際連盟で採択された「子どもの権利に関するジュネーブ宣言」に始まる。宣言は第1次世界大戦で多くの子どもが犠牲になったことの反省にたったもので、第2次大戦後の59年に国際連合はあらためて「子どもの権利宣言」を採択する。
宣言からさらに踏み込んだ国際的な約束として「子どもの権利条約」が89年、国連で採択された。子どもを保護の対象でなく権利を持つ主体ととらえた画期的な条約である。

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難しい条約文を子どもにも分かるように訳した「子どもによる子どものための『子どもの権利条約』」(小学館)は、「まっすぐに生きるために、大人に対して、ぼくは言う」で始まる。
「育つ権利」などが盛り込まれた条約は、社会が子どもの最善の利益を主軸に行動するよう規定し、その実現を義務付けている。
日本が条約に批准したのは94年。採択から5年の年月を費やしたのは、社会に子どもの権利を守る意識が乏しかったからだ。
経済協力開発機構加盟国の中で、日本の教育機関への公的支出が最低水準にあることはよく知られている。
教育に関する親負担の強調が、経済的に厳しいひとり親家庭や高校卒業と同時に自立を迫られる児童養護施設の子どもたちを窮地に追い込んでいったのである。
子どもに最善の利益を保障する取り組みの弱さは、家族依存型の社会構造とも深くつながっている。 

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「こどもの日」のきょうから児童福祉週間が始まる。
子どもを「社会の宝」と位置付ける週間の目的は、未来の担い手を育てることであり、成長を社会全体で支え合うことでもある。
子どもの権利は、憲法や児童憲章にも規定されている。 誰もが希望をもって未来の担い手になるために、貧困や虐待、いじめ、差別などから子どもを守る権利保障の精神を広く行き渡らせねばならない。