草津の「栗生楽泉園」「重監房」記憶よみがえる:群馬 - 東京新聞(2018年5月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201805/CK2018050102000148.html
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昭和二十年代半ばごろに草津町国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉園」を撮影した全景の写真パネルが三十日、隣接する重監房資料館で開館四周年に合わせて初公開された。園内の全景写真としては最古とみられる。撮影後に取り壊された懲罰施設「重監房」の他、この写真でしか確認できない現存しない建物も含まれ、当時を知る元患者たちが差別の記憶を振り返った。(菅原洋)
公開された写真は縦一・二メートル、横三・六メートル。園内の西端から全景が写るように三方へ同時に撮影したとみられる三枚のモノクロ写真をつなぎ合わせた。写真パネルは常設で展示される。
注目されるのは、昨年五月に資料館の北原誠主任学芸員が発見した重監房の部分。重監房の写真が見つかったのは初めてで、全景写真の左端に確認できる。
重監房は一九三八(昭和十三)年に建てられ、終戦後までに逃走など理不尽な理由で患者延べ九十三人を収容。真冬は氷点下二〇度近くになる室内で粗末な食事しか与えられず、二十三人が死亡したとされる。昭和二十年代後半に取り壊された。
重監房の写真は、北原さんが園内の入所者自治会で資料調査していたところ、元職員が撮影したとみられるアルバムの中にあった。
北原さんがその後にこのアルバムを精査した結果、昨年十一月に残る二枚が含まれているのを見つけた。
この二枚の写真には、別の時期に撮影された写真にはない園内にあった宗教施設の診療所、本館近くの渡り廊下などが写り、三枚とも貴重な史料になると分かった。
三枚の写真を並べると、それぞれの縁と縁の部分が一致したため、全景写真としてパネルにした。アルバムの記載や写る建物などから、撮影時期は昭和二十年代半ばとみられる。
北原さんは「広大な敷地に、当時は千人ほどの患者が生活していた。その間近に重監房があった史実を写真を見て知ってほしい」と来館を呼び掛けている。
写真を見た元患者の岸従一(よりいち)さん(78)は「(撮影時期とされる)昭和二十年代の半ばに十代初めで入所した。母親から引き離され、同じ病気だった父が自分に『遊びに行くから』と偽って一緒に入所したのを思い起こす」と強制隔離された当時に思いをはせていた。