「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと - 琉球新報Style(2018年4月02日)

https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-691863.html

2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。
話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。

なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。

話題となった記事)入社2年目の塚崎昇平記者が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム

〈記者ですが〉 ネット右翼でした - 2018年3月25日 オピニオン面掲載(文化部 塚崎昇平 26歳)

https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-691863.html#kishadesuga

学生時代、私は「ネット右翼」だった。辺野古や高江で米軍基地建設に反対して座り込む人々に、ネット上の言説を根拠に「反日勢力」とレッテルを貼った。琉球新報など、権力にあらがう人々を伝える報道には、自分なりの国家論を振りかざして反論した。持論がネット上で賛同されるのを見て、悦に入っていた。
考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や高江の現場を目の当たりにしてからだ。座り込む人たちに、自分の意見をぶつけたが「君は間違っている」とぴしゃりと言われた。対話を重ねるうちに、抗議を続ける動機に「生活を守る」という意識と、沖縄戦の記憶が流れていることに気付いた。ネット上の情報だけを信じていた自身の浅はかさを痛感した。
その後も戦後史を学ぶにつれ、辺野古新基地建設に対して強い疑問が生まれた。「自分も意思表示したい」。そう思うようになり、新基地建設に抗議する県民大会に足を運んだ。家族連れら、さまざまな人が集まった様子を見て「反対運動はお金をもらった人々」というネット上のデマが現実離れしていると感じた。その中で「より多くの人に現場の状況を知らせたい」と思い始め、記者を志望することにした。
教育担当記者となった今も、辺野古取材班に加わっている。4月からは北部報道部に配属となる。ゲートに座り込む市民を取材する機会も多くなる。「ネット右翼」だったかつての私のような人たちに、どうすれば現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている。