(余録)琵琶湖の北端にある滋賀・菅浦地区(長浜市)で… - 毎日新聞(2018年4月22日)

https://mainichi.jp/articles/20180422/ddm/001/070/137000c
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琵琶湖の北端にある滋賀・菅浦(すがうら)地区(長浜市)で膨大な古文書が確認されたのは、約1世紀前の1917年ごろだった。京都帝国大学歴史学者が当地にある須賀(すが)神社を訪れた際、「開けずの箱」と呼ばれる唐(から)びつを開け、発見したと伝えられる▲その「菅浦文書」が近く、国宝に指定されることが決まった。鎌倉から江戸時代までの村落の様子が詳しく記されており、その史料的価値が高く評価されたためだ。庶民が残した文書が国宝となるのは、極めて異例という。
とりわけユニークなのは、「惣(そう)」と呼ばれる中世の自治組織の活動に関するくだりだ。惣は裁判と警察について「自検断(じけんだん)」と呼ばれる自治権を持ち、「裁判は証拠第一で行うべきだ」と運営を戒めた記述もある。
暮らしのルールや隣村との紛争も惣が仕切っていた。文書の研究で知られる長浜市の太田浩司(おおた・ひろし)学芸専門監は「中世日本の集落に高度の自治意識があったことが裏付けられた」と解説する。
昨今は多くの町村が急速な人口減少に見舞われ、地域の維持すら危ぶまれている。高齢者が住民の半数を超す菅浦地区も例外ではなく、過疎化が進む。地元には今回の国宝指定で菅浦の知名度が増し、活性化につながるとの期待もあるという。
菅浦文書には、隠居した人や寡婦(かふ)への課税の免除とみられる、社会福祉を思わせるおきても記される。「現代の地域づくりにも示唆を与える内容です」と太田さん。今も昔も自治に欠かせないものは、盛んな自立心と、共助の精神であろう。