(余録)「市ケ谷台へ帰ると… - 毎日新聞(2018年4月4日)

https://mainichi.jp/articles/20180404/ddm/001/070/177000c
http://archive.today/2018.04.03-223130/https://mainichi.jp/articles/20180404/ddm/001/070/177000c

市ケ谷台へ帰ると前庭に火焔(かえん)ともうもうたる煙が立ち上がっているではないか」。終戦時、陸軍省人事局に勤務していた軍人の回想である。8月14日から始まった「機密書類焼却」は16日まで続いたという。
先の軍人は自分の部屋に駆け込んで驚いた。「自分の机を見ると、引き出しの中は完全に空っぽで何も残っていない。同期生会関係書類も勿論(もちろん)である。怒鳴ってみたが後の祭り。私の留守中に勝手に火中に放り込んでしまったのだ」
「機密」であろうとなかろうと、一切合財(いっさいがっさい)灰にしたのだ。当時、陸軍省参謀本部は東京・市谷本村町にあって市ケ谷台と呼ばれたが、こちらはその跡地に建つ現代の「市ケ谷台」−−防衛省の記録文書をめぐるすったもんだである。
国会で「ない」と説明されていた陸自イラク派遣時の日報が出てきたと突然、防衛相が発表した。そう聞けば、元防衛相の辞任をもたらした南スーダンの国連平和維持活動の日報隠蔽(いんぺい)とよく似た事の運びにあきれる方もおられよう。
また同省は日米防衛協力をめぐる開示文書の改ざん疑惑に対し、類似文書が内部説明用に2通あったのを認めた。文書については、なかったりあったり、同じ文書が何種もあったりと、まるでからくり屋敷のような市ケ谷台上である。
1年以上も国政を振り回してきた財務省防衛省の公文書の扱いである。終戦時の各省の文書焼却の背景には閣議決定があった。では今日の各省のでたらめな文書管理の同時発生、背後にあるのは何だろう。