(大弦小弦)沖縄戦の痛みを歌ったでいご娘の名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑… - 沖縄タイムズ(2018年4月3日)

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沖縄戦の痛みを歌ったでいご娘の名曲「艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー」の歌碑は、4姉妹の父で作詩作曲した故比嘉恒敏さんの故郷・読谷村楚辺のユウバンタにある。次代へ歌い継ごうと2013年6月23日、区民が建立した

▼天然の砂浜に立つと、美しい風景に時間を忘れそうになる。だが73年前の4月1日、水平線を米艦船が埋め尽くし、米兵がここに上陸した

▼歌碑の左側にはトリイ通信施設のフェンスが延び、頭上には普天間飛行場や嘉手納基地の米軍機が飛び交う。過去と今が、いやが応でもつながっていることを実感してしまう場所

▼3月31日、沖縄現代史研究の第一人者、新崎盛暉さんが82歳で亡くなった。沖縄大学学長時代に卒業式で「沖縄は『悲劇の島』とかいろいろ言われるけれど、ちょっと考えてごらん。沖縄ぐらい、ものがよく見える所はない」と話したという

▼「東京辺りにいたら相当勉強しなければ見えない世界の情勢が、生活しているだけでよく見えるような位置にある。沖縄というのは、認識における優位性を活用できる場なんだよ」(「沖縄とヤマト」かもがわ出版

▼一人一人が沖縄の土地土地に眠る記憶をたどる。そこから今を考え、困難をはね返す力にする。それが新崎さんが生涯訴え続けた「歴史をつくるのは民衆の力」ではないかと、訃報に接して思った。(磯野直)