(新崎盛暉さん死去)実践を通し民衆史紡ぐ - 沖縄タイムズ(2018年4月3日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231892
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沖縄現代史研究の第一人者で沖縄大学元学長の新崎盛暉さんが3月31日午後、肺炎のため南風原町の病院で亡くなった。82歳。
昨年11月、破裂性急性大動脈解離で緊急入院し、治療を受けていたという。
倒れる直前まで、資料の入ったバッグを肩にかけ、いつものラフな服装でシンポジウムや市民グループの勉強会、裁判の支援集会などに通っていた姿が、その風貌とともに、頭に浮かぶ。
友人でもあった元琉球大学教授の岡本恵徳さん(故人)は、新崎さんのことを「永遠の少数派」と語ったことがある。
国家権力に抗う民衆の運動に着目し、「民衆がつくる歴史」を同時代史として書き続けてきた生涯だった。
平和・人権・環境・自立−個人を主体にした復帰後の市民運動の支柱のような存在でもあった。 
金武湾の石油備蓄基地(CTS)建設に反対する住民運動、米軍用地の強制使用に反対する一坪反戦地主会の活動、そして新基地建設に反対する沖縄平和市民連絡会の取り組み−。新崎さんは共同代表や代表世話人として常に現場に立ち続けた。
新崎さんの「沖縄現代史」(岩波新書)は、中国語や韓国語にも訳され、広く読まれている。
「東アジアの民衆連帯」が新崎さんの口癖だった。「学び合うネットワーク」という新崎さんらがまいたタネは、冷戦の最前線にあった東アジアの中で芽を出し、着実に育っている。 

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沖縄出身の両親のもとに東京で生まれた新崎さんは、東大卒業後、都庁に勤務するかたわら、英文学者の中野好夫さんが主宰する「沖縄資料センター」で戦後資料の収集、整理、分析などにかかわってきた。
新崎さんら東京在住の若手研究者らが編集した「戦後資料沖縄」や「沖縄問題基本資料集」、「ドキュメント沖縄闘争」は、沖縄戦後史を研究する上での基本資料である。 新崎さんの沖縄戦後史研究は、その作業を通して花開いたもので、研究成果はその後、「沖縄同時代史」全10巻に結実する。
「構造的沖縄差別」という言葉は、新崎さんが使い始め広く知られるようになった。 「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」のことである。
新崎さんの執筆活動は半世紀を超える。

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新崎さんの戦後史に対しては「保守陣営の動きがまったく描かれていない」「戦後史というよりは運動史」だとの批判もある。
こうした批判は、決して的はずれだとはいえないが、沖縄の戦後史は社会運動史である、という考えに揺るぎはなかった。現場と実践を重視する姿勢も一貫していた。
「日本にとって沖縄とは何か」−新崎さんは一貫してこの問いを投げかけてきた。
戦後沖縄の政治史を現場で定点観測し続け、「民衆の歴史」を紡ぎ続けたことは特筆すべき業績である。