「普通の子に育てたい」心霊治療に頼ったことも 必死だった母 - 沖縄タイムズ(2018年3月28日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/214770
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◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第3部 自分らしく生きる 千奈 私のしあわせ(中)
「普通の子に育てたい」。新城千奈(せんな)(27)が2歳の時、自閉症の障がいがあると知らされてから、母の由紀(51)は思い続けた。
自閉症は、脳の機能障がいが原因の発達障がい。言葉がうまく話せなかったり、特定の物事に強いこだわりが出たりする。
幼い頃の千奈は、数字に固執した。カレンダーや値札、看板などに書かれた数字を見ると目を離さず、時には脇目も振らず近づいていく。由紀は身の回りのあらゆる数字を隠し、外出を控えるようになった。
パニックも起きた。突然叫んだりジャンプを繰り返したり。その度に由紀は抱き締めてなだめた。意に沿わないことがあると、自分の手をかんだりたたいたりする自傷行為もよく起きた。手の傷痕は今も残る。
言葉を話せるようになるため、専門家による言語訓練を10年間受け続けた。由紀に連れられ、占い師に見てもらったり、心霊治療に頼ったりもした。ユタに会いに行った時は「まぶやー(魂)がいびつな形をしている。きれいにしなければいけない」と言われ、由紀は「どうしてこんな子を産んでしまったのか」と自分を責めた。
千奈は小学5年まで普通学校に通う。学校側からは特別支援学校への転校を勧められたが、由紀は「障がいが良くなるかもしれない」とこだわる。小学2年の時の担任教諭との連絡帳には、悩みを吐露する由紀の言葉がこうつづられている。「私1人悩んでたんです。やっぱり養護の方が…と。親のメンツとかエゴで千奈の事考えて決めてません」
由紀は千奈とつきっきりで生活し「このまま2人でどこかへ行ってしまおうか」と思い詰めたこともあった。一方、10歳の千奈がおもちゃを踏み「痛い」と言うと、初めて自分の意思が言葉になったと手放しで喜んだ。
一喜一憂する母と子の毎日。由紀は「私のせいで千奈は障がいを持った。なんとか良くなってほしいと必死だった」と振り返る。
小学6年生の時、由紀は初めて行った精神科病院で千奈の通院歴を見た医師から「お母さん、頑張りすぎ」と言われた。なにげない一言に、由紀はふっと体の力が抜け、同時に顧みた。
障がいが良くなり、言葉が話せて、健常者と同じような生活をする−。千奈自身はそれを望んでいるのだろうかと。「千奈にとっての幸せって何だろう」。自室でニコニコしながら絵を描く千奈を見つめ、由紀は考えた。=敬称略(社会部・伊藤和行