「動員」質問に透ける人間観 文科省の授業報告要請問題(3) - 共同通信(2018年3月29日)

https://this.kiji.is/351901547984405601
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前文部科学事務次官前川喜平さんの中学校での授業について、文部科学省名古屋市教委に出した最初の質問状の第14問はこう述べる。
「報道によれば、今回の授業には、生徒約300人以外に保護者ら200人が訪れたとありますが、これは事実でしょうか。また、『保護者ら200人』とありますが、このうち、保護者はどの程度参加し、保護者以外の方としてはどのような方がどの程度参加されたのでしょうか、また、動員等が行われた事実があったかなかったか、明確にご教示ください」

■人は強制されて動く■

質問者はこの点にかなりこだわりがあるらしかった。
名古屋市教委の回答は内訳として「教職員30人、保護者約30人、学区・北区内住民約100人、教育に関心のある方約40人/動員は一切ありません」というものだったが、追加質問状でさらに追及している。
学区・北区住民100人と教育に関心のある40人について「これらの方々には、どのようにして授業の案内を出されたのか、具体的にご教示ください」と問い、他の外部講師の授業についても「同様な方法で学区・北区住民等に案内をされたのでしょうか、ご教示ください」「保護
者や地域住民はどれほどの人数が参加されたのか具体的にご教示ください」と畳み掛けた。
質問者は前川さんの授業への一般参加者が多いことに驚き、動員をかけたのではないかと疑った。市教委が否定してもどうしてもその疑いを捨てきれなかったとみえる。
主催者なら多くの人に聞いてもらいたいと願い、周囲の人に「是非来てください」と告知するのは当然のことだ。だが、学校や市教委は一般の人に対して何の強制力も持っていない。そういう組織がどのようにして動員をかけるというのか。
「動員」質問と前回言及した「謝金」質問は、現段階では自民党の文科部会長代理、池田佳隆衆院議員が意見を伝え、文科省が加筆したとされる。そのことが明らかになって、少しふに落ちた。
あらゆる表現には、表現者の人格や品性が何らかの形で反映する。「謝礼はいくらだ」という問いは、この質問者の関心がどこにあるかを「具体的に」示した。「どうせ動員だろう」という追及は、図らずも彼の想像力や人間に対する理解の程度をさらす結果になった。人は強制によって動く、あるいは強制によってしか動かないという貧しい人間観。そればかりか、ねたみのような感情もにじむ。このような人に教育を語ってほしくない。

■執着や邪推に基づく問い■

少し法的なことに立ち入りたい。
今回の質問の根拠は「地方教育行政の組織および運営に関する法律」(地教行法)53条だろう。文部科学大臣教育委員会の事務について必要な調査をすることができるという趣旨だが、それは「同法48条1項と51条の規定による権限を行うため必要があるとき」に限られる。
51条は文科省と教委、教委相互の連絡・調整・協力に関わる規定で、今回は関係ない。48条1項は「事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言または援助を行うことができる」と規定する。48条と53条を併せ読むと、調査できるのは「指導・助言・援助」を前提とする場合であって、そうでない場合は調査できないし、してはならないということになる。
それにしても、この53条を見ても分かるように、地教行法はひどい悪文だ。原文を引用したかったが断念した。ここまで読んでくれた方でも、嫌になって読むのをやめてしまうのではないかと恐れたからだ。学ぶことは生きることにかかわる。そういうみんなの問題なのに、市民を遠ざけようとしているとしか思えない。それもそのはずで、この地教行法の出自や歴史は、民主化と逆行する戦後教育制度の歩みを象徴しているのだ(それについては追って言及したい)。
さて、法に照らせば、謝金や動員に関し「指導・助言・援助」を行う前提として市教委に「必要な調査」をしたということになる。だが、そこに不正や不公正が疑われる情報があったわけではない。既に見たように、これらの質問は金銭に対する個人的執着や参加者数に関する邪推もしくはねたみに基づいており、正当な根拠を著しく欠いている。
介入に屈せず授業の価値を主張し、録音データの提出を拒んだことで、名古屋市教委の対応を褒める声が多い。だが回答する前に、明らかに越権と思われる項目について、市教委は問い返してもよかった。「あなたはどんな権限に基づいて、何のためにそれを聞くのか」と。
そして「不当な調査」と判断したなら、その部分だけでも拒否できたらよかった。もし、それができれば、国と地方の関係の中で、自律的にゆがみを正す動きとして、さらに評価されただろう。(47NEWS編集部、共同通信編集委員・佐々木央)=続く