自民教育改憲案 政治の道具にするな - 東京新聞(2018年3月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018031602000166.html
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教育の機会均等を保障する国の責務が後退しかねない。自民党憲法改正推進本部の教育に関する改憲条文案だ。森友学園を巡る決裁文書改ざん問題で論議は停滞気味だが、これだけは言っておこう。
条文案では、教育を受ける権利などを定めた現行の二六条を維持しつつ、国に「教育環境の整備に努めなければならない」との努力義務を課す文言を加えている。
その教育環境には「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め」と特記している。
二六条は「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を国民に保障している。つまり、機会均等を実現すべく環境を整える責務をすでに国に負わせている。努力義務としての追記は、その強い拘束力を緩めてしまいかねない。
憲法は権力を縛るという立憲主義の原則に立てば、大幅な劣化である。変えるべきではない。
個人の経済的事情によらず学ぶ機会を確保するという旨のくだりは、屋上屋というほかない。二六条を踏まえて、教育基本法四条は「経済的地位」による教育上の差別をしっかりと戒めている。
貧しさが招く教育の格差、世代を超えて繰り返される貧困の連鎖は、過去の失政のツケにほかならない。問われねばならないのは教育と向き合う政権の知恵と覚悟であり、憲法ではない。
経済協力開発機構の加盟国の中で、日本の国内総生産に占める教育への公的支出の割合は最低水準と指摘されて久しい。教育の成果は学び手の私的な利益であるとして、公費より私費で費用を賄うべきだとの風潮も根強くある。
政権が注力すべきは教育の社会的な効果を説き、財源を確保して奨学金や授業料減免などの負担軽減策を手厚くすることだ。二六条に忠実に従わねばならない。
自民党改憲論議の俎上(そじょう)に教育を載せた背景には、九条を真の標的とする国会発議に向けて、教育無償化を唱える日本維新の会の協力を得たいとの思惑が漂う。
財政難から無償化の明記は見送ったとはいえ、日本維新の会改憲原案にある「経済的理由」の文言を取り込んでいるのは、その証左ではないか。
条文案で、教育は「国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担う」とうたっているのも危うい。教育の目的は個人の人格の形成であり、国益の追求ではない。国家に尽くす国民の育成という発想は、憲法の理念に背くものだ。