<変革の源流 歴史学者・磯田道史さんに聞く> (9)強さ誇示 古墳時代にも - 東京新聞(2018年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031002000157.html
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−明治を描いた作家司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』では、人間群像を通じて「日本人とは何か」というテーマが浮かび上がります。
日本が、アジアで唯一の列強の座へと駆け上がり、一つの頂点に至るまでの過程を描いています。痛快な、明るい歴史と読まれていますね。
−けれど日本はその後、何十年かして失敗する。その原因となった愚かしい部分も、この作品で表現されているように思えます。日露戦争で、兵力の差が明らかなロシア軍に対して司令官の乃木希典(まれすけ)(※注1)が正面からの突撃を指示し続けるなど、無策ぶりが描かれています。
人間の行動パターンを形式主義、合理主義などに分けるとします。司馬さんはおそらく「形式保守主義」が国の衰退を招くと考えていて、これを乃木将軍に象徴させています。誇張されており実際の乃木将軍とは違うと思うのですが、本質より形式にこだわり、感情的で保守的。彼に託して愚かな日本人を書こうとしたのでしょう。そこに、主人公の一人である秋山真之(※注2)の人柄として合理主義、柔軟主義を相対させています。本質を見極め、新しいことに柔軟に対応する。日本人はもともと、その両方を持っていると思うんです。
−司馬さんは、第二次大戦の学徒出陣で旧満州中国東北部)に赴き、終戦は栃木県で迎えました。「なぜ日本は愚かな戦争をしたのか」を歴史小説で探ろうとしたのだといわれていますね。
エッセー集『この国のかたち』の中に、司馬さんが昭和の戦争に至る時代について書いた文章があります。そこでは日露戦争の勝利から敗戦までの約四十年間を日本史の中でも特殊な「鬼胎の時代」と名付けているんです。「鬼胎」とは「鬼っ子」、親に似ていない子供という意味です。
歴史の上でちょっと変わった時代だと言っている。私の意見は、この部分については司馬さんと違います。
私は、昭和の敗戦に至った要因は、江戸時代やそれ以前からあると考えます。明治維新の大命題は、西洋列強に植民地化されないことでした。そのためにつくった高度に中央集権的な帝国が、自動的な運動を始め、アメリカと戦うところまで行くのは、偶然ではない。鬼胎でもない。歴史の延長上にあることです。
−どのあたりまで歴史をさかのぼって考えれば?
極端な話をすれば、古墳時代の倭(わ)王武(※注3)のころに端緒はあります。宋の皇帝に送った文書の中で、朝鮮半島を征伐したと誇っている。アイデンティティーを武力の強さに求めています。
日本は漢字を生み出してないし、文明は中国のものをいくぶん借りた。勝てる部分を持っていたいという心理が働いているのかと思います。自分たちには武力の強さがあるのだ、と。
国同士の関係を上下の感覚で捉えると、必ず行き詰まる。これは現代にも通じる反省点だと思います。
−四月に最終回を掲載します。
◇ことば
※1 乃木希典…1849〜1912年、陸軍軍人(大将)。日露戦争では第三軍の司令官として旅順攻囲戦を指揮した。戦後は伯爵になったが、明治天皇崩御に殉じて、妻とともに自決した。
※2 秋山真之…1868〜1918年、愛媛県出身の海軍軍人。日露戦争では連合艦隊作戦参謀として活躍し、日本海海戦を勝利に導いた。陸軍軍人・秋山好古の弟。
※3 倭王武…「宋書倭国伝の中に登場する王。宋の皇帝に文書を送り、国土統一を主張したとの記述がある。5世紀後半ごろの雄略天皇と推定されている。