<金口木舌>小さな学校で学ぶ - 琉球新報(2018年2月28日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-673234.html
http://archive.today/2018.02.28-003501/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-673234.html

24年前の春、宮古島の北にある大神島を訪ねた。高校受験を控えた3人の中学生から話を聞くためだ。当時の世帯数は20戸余。生徒が通う大神小中学校は全児童生徒数が11人だった

▼小学生は複式学級。体育の授業は全員が運動場に集まった。先生と生徒の距離は家族と呼べるほど近い。島を離れ、市街地の高校に通う生徒の明日を、教師はわが子のことのように案じていた
▼生徒の方は過疎に悩む島の将来を気にしていた。月に1回は帰りたいと和やかに話しながら「誰もいなくなったら住めない」とこぼした。「生徒たちは痛いほど分かっているんです」という教頭の言葉が忘れ難い
▼教師と生徒が共に大神島の未来を見つめていた。小さな学校で学び合う切実さがそこにはあった。小、中学校の9年間、1クラス45人規模のマンモス校で育った身には想像し難い姿だった
中城村が少人数学級を小学校で導入すると聞き、大神島を思い出したと言えば変に感じるだろうか。確かに学力向上を目指す村と過疎の島では事情は違う。ただ、教師と児童の関係が学びの質を決めるという点では通じ合うと思うのだ
大神島で会った生徒は既にアラフォー世代。小さな島での学びは生きる糧になっていよう。親子とは言わぬが、教師と児童の実り豊かな関係を中城村の試みに期待したい。卒業後の人生に彩りを添えるはずだ。