「生きていけない」 同性を好き…自覚した中2 うわさ広まり体に異変

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◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第3部 自分らしく生きる 亮太「普通」を問う(上)
「好きって何?」−。2月14日、中城村の実現型ディスカッション企業「がちゆん」(沖縄市、国仲瞬社長)事務所には大学生ら12人が集まり、熱く語り合っていた。会を主催したのは同社でセクシュアリティー・キャリアコーチとして勤める平良亮太(23)。ゲイだと公言している。
亮太は多様な恋愛の在り方を共有するため、同世代の大学生らを集め、「好きって何?」をテーマに自由に議論を交わした。ホワイトボードにハートで囲まれた「好き」という文字。そこから連想する言葉を書くことから会は始まった。
恋愛の在り方は多様
「恋」と結ばれた語句の流れで、男子学生の一人が同性愛の先に矢印をつなげ、「ふられる」と結論付けた。亮太はそれをちらっと見た。
「同性愛を差別しない、偏見ないよといっても、人にはそれぞれ無意識のうちの恋愛観やジェンダーは“こうあるべき”という感覚がある」。亮太はこうした無意識の感覚に気付いてほしいと思い、異性愛を前提にした議論には反論しようと決めていた。
「“当たり前”“普通”から漏れている人たちもいるんだ」。グループに分かれ議論を始める前に、亮太は3種類の辞書から「好き」の定義を読み上げた。国語辞書、英語辞書、どれも異性間や性別を示すような言葉はない。「同性愛もあるということを念頭に置いてください」とはっきり告げた。
それでも議論中、時折「男子は」「女子は」と性別でひとくくりにされた会話が出る。
違和感を覚えた亮太は問い掛けた。「好きって性別で選ぶの? 裸にして男か女かを確認して好きになっているわけじゃないよね」。これまで無意識に異性愛者の立場から築いてきた感覚を揺さぶる質問に、学生らは「えーだって…」と困った顔をしながら答えに詰まった。
亮太は「正解とかないし、特定の価値観を伝えたいわけじゃない。LGBTを含め性の在り方に関心がない、知らない人にアプローチしていきたい」と語る。そして、言う。「だって嫌悪は無知から生まれるから」
学校で冷やかされ…
平良亮太(23)が同性を好きだと自覚したのは中学2年のころ。初めて持った携帯のインターネットで「ゲイ」という単語に出会った。「自分もこれに当てはまるのかもしれない」と検索したが、嘲笑の的となっていることを知り「自分は違う、嫌だ」と否定。反動で女子生徒と付き合ってみたが、関係は長続きしなかった。
昔から柔らかい雰囲気で、いじられることはあったが、いじめられたことはない。中3のころ、好きな人にクラスの男子の名前を挙げた。イケメンだった。うわさは広まり、本人まで伝わってしまった。すぐに亮太は「違う、違う」と否定して回ったが遅かった。
周りから冷やかされ、「生きていけない」と後悔した。その子を見ると発熱したり、おなかが痛くなったりした。学校には登校したが、体育の時間は数カ月休んだ。「自分を否定していると体に異変が出る」と亮太は悟った。
同級生に冷やかされ体調がおかしくなったことを担任の先生に相談した。先生がゲイと気付いていたかは分からない。だが、先生が「その子がまた同じようなことを言ってきたら相談して。守るから」と話した、その言葉がうれしかった。次第に体調も回復した。
カミングアウト
初めてカミングアウトした友達は、高校2年で仲のいい女子だった。
「誰が好きでもいいんじゃない。亮太は亮太、応援する」とその子の言葉に気持ちが一気に楽になった。「仲のいい友達には知ってほしい」。真剣に話を聞いてくれそうな数人にカミングアウトした。
それから、20歳の誕生日にフェイスブックでゲイと公表した。
2016年、亮太22歳の夏には、実現型ディスカッション企業「がちゆん」(国仲瞬社長)と沖縄タイムスが企画した主権者教育イベント「政治キャンプ」に参加。県にLGBT担当部署を新設することなどを求めた「請願書」を県議会議長に手渡した。「自分一人が声を上げても何も変わらない。そう思っていたのに、県議会に、社会に、自分の意見が届いた」
うれしさや達成感とともに過去の苦しみや思い出が込み上げ震えた。「自分にも社会を変えることができるかもしれない」。進むべき道を見いだした。
亮太のカミングアウトは友人にも温かく受け入れられた。だが、家族へのカミングアウトという乗り越えなければならない壁が残っていた。=敬称略(社会部・川野百合子)
※第3部は、自分らしい生き方を模索する若者たちを紹介する。