(筆洗)俳人の金子兜太さんが亡くなった- 東京新聞(2018年2月22日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018022202000137.html
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座禅ではなく、立ったままの「立禅」がその人の日課だったそうだ。ただ立っていては雑念でいっぱいになる。心を集中させるため、亡くなった友人、知人の名をあげていく。百数十人。約三十分。「死んだ人たちといっしょにいる気持ちになる」
その日課は「いのち」との語らいだったか。死を人間にとって自然なものと受け止める儀式だったか。戦後の俳壇をリードした、俳人金子兜太さんが亡くなった。九十八歳。

<長寿の母うんこのように我を産みぬ>

どの句を引くか迷ったが、生きものとしての人間をありのままに描いている骨太にして、滑稽にも富んだ、この句を選ぶとする。季語のない無季句である。
季語は大切だが、季語さえあれば、自然をとらえられるという考え方を強く否定していた。季語はなくとも、この句に描かれた人間の、生きもの全体をめぐる「自然」の大きさや神々しさはどうか。その俳人によれば人は母親からうんこのように生まれ、やがて、土へと帰る。
「いのち」にこだわり続けた。酷(ひど)い戦争体験。生きもの同士がいたわり、信じ合えば、戦争はない。平和や、好んで使った、「蹴戦(しゅうせん)」(戦争を蹴飛ばす)を叫ぶのは、いのちの俳人には、当然のことだった。

<おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた>

故郷の秩父の山におおかみが帰っていった。眼鏡をかけた優しいおおかみに螢がとまる。