(憲法を考える)国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書 - 朝日新聞(2018年1月30日)

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憲法を考える 視点・論点・注目点

今年の国内政治の焦点は、安倍晋三首相が執念を燃やす憲法改正に向け、国会が改正案を発議できるかどうかです。発議されれば、憲政史上初めてとなる国民投票で、その賛否が直接私たちに問われることになります。衆院憲法審査会(森英介会長)の議員団は昨年、ともに2016年に国民投票を経験した英国、イタリアを視察しました。国民投票を主導した首相がいずれも意図せぬ結果で退陣に追い込まれた両国の経験から、どんな教訓をくみ取れるのでしょうか。審査会がまとめた報告書をもとに考えてみました。(編集委員・国分高史)

■感情に左右される危険性ある 英国―僅差でEU離脱

欧州連合(EU)離脱か、残留か――。英国が国民投票を実施したのは、16年6月。両派の激しい運動の末、わずかの差で離脱派が上回った。
国民投票の実施を決めたのは当時首相で保守党党首だったデービッド・キャメロン氏。残留派だったキャメロン氏は、国論を二分する論争に敗れて退陣した。
キャメロン氏が得た教訓は何だったのか。
キャメロン氏はまず「最も注意を払うべきは、国民投票が政府に対する信任投票になってしまったり、他の政策的な問題に対する投票になってしまったりするのではなく、『投票用紙に書かれた質問文』に対する投票となるようにする点だ」と議員団に語った。
さらに日本で憲法9条が焦点になっていることを念頭に「英国のような島国では、EUから離脱するか残留するかは、感情的な問題になってしまいがちだ。日本にもよく似た問題があるように思う」と指摘。「憲法改正では、『理論的な側面』と『感情的な側面』の両面に訴えることが大事だ」と助言した。
自民党自衛隊明記案を疑問視したのが労働党のヒラリー・ベン下院EU離脱委員長だ。自民議員の説明に対して、「いままで自衛隊が活動できたのであれば、自衛隊憲法に明記されていないことは、それほど大きな問題ではないように私には見受けられる」と話した。
一方で、政府にことさら反対するために国民投票が利用される危険性も指摘。「何をテーマに国民投票を行うかについて、よく注意しなければならない。国民投票を行って負けた場合、もう議論の余地がなくなってしまうから」。やはり労働党で英日議連会長のロジャー・ゴッシフ下院議員も「国民投票の危険な点は、国民はそれがどんなテーマの投票であれ、自らの望むことについて投票する点だ」と同様の見方を示した。
国民投票の正統性を担保する方策について語ったのは同議連副会長のポール・ファレリー下院議員だ。「例えば賛成票が全有権者数の50%以上でなければならない、といった最低ラインを設けなければ、国民投票の結果に正統性がないのではないか。次に、最低投票率を66%とか70%とかに設定するべきではないか」と述べた。
英国では国民投票の後、EUへの負担金がなくなれば多額の資金を福祉に回せるといった離脱派の主張に誇張があったことなどが問題視された。選挙委員会が投票後に実施した世論調査では、52%が「投票運動が公平に行われたとは思わない」と答えた。
ケンブリッジ大学のデービッド・コープ教授は、過熱した運動が展開された投票をこう総括した。
「いま英国の政治家、産業界、学会の有識者に聞けば、ほぼ100%の人たちが『もう国民投票などすべきではない』という強い意見を持っているだろう」

■全国民による改革でなくては イタリア―上院権限めぐる改憲、大差で否決

上下両院がまったく同じ権限を持つため、両院で多数派が異なる「ねじれ」がたびたび生まれ、政治の停滞を招いてきたイタリア。16年12月の国民投票で、上院の定数や権限を大幅に削る憲法改正への賛否を問うたが、大差で否決された。
イタリアの国民投票から得られる教訓は明確だ。
自己批判的にかえりみると、国民投票は多数派が自己の権力を強化する手段として使ってはいけないということを指摘できる」。民主党のアンナ・フィノッキアーロ議会関係担当相は振り返った。
イタリア政府は国民投票に先立つ13年、憲法改正に対する国民からの意見聴取をインターネットで実施。約20万人の回答から、上下両院の権限が対等な「完全二院制」を支持しているのは約9%にすぎないことがわかった。
レンツィ首相(当時、民主党)は14年に改憲案を国会に提出。下院だけでなく、権限が縮小されることになる上院の賛同も得た。ところが、自らの足場を固めようと、改憲の成否に進退をかけるとレンツィ氏が表明すると、その後の政治情勢の変化もあり、国民投票は政権の信任投票の様相を帯びた。レンツィ氏は退陣を余儀なくされた。
ステファニア・ジャンニーニ前教育・大学・研究相は「残念であったのは、国民投票の段階でレンツィ政権に対する賛否を表すという政治的な内容と、国家の機能の簡略化、効率化及び透明性を図るという憲法改正の純粋な内容とを、明確に分離することに失敗したことだ」と総括した。
一方、野党側の見方はこれとは少し異なる。
憲法改正に反対した新興勢力「五つ星運動」のダニーロ・トニネッリ下院憲法問題委員会副委員長は、改正の範囲が幅広く、国民投票が複雑になった点を問題視。日本へのアドバイスとしてこう語った。
憲法は国民すべての財産であり、憲法改正は『だれかの改正』であってはならない。国会の勢力を含めて、国民すべてが共有する改革でなくてはいけない」
国民投票には、たいへんな時間とコスト、エネルギーが要る。野党フォルツァ・イタリアのレナート・ブルネッタ下院議員はこう言って苦笑いを浮かべた。
国民投票によって賛成派も反対派も本当に疲れてしまっている。国会で採決されるまでに2年間の議論が続き、さらにその後の国民投票に向けての活動があり、本当に疲れた。その時々の政治的な多数だけに頼るような憲法改正は不可能だ」
イタリアでも英国と同様、社会に疲労感が広がっていた。

■大多数の納得が前提。政権信任投票ではないですぞ――ケンポウさんに聞く

英国とイタリアの国民投票の経験を私たちはどうとらえるべきなのでしょうか。日本国憲法を擬人化した当欄のキャラクター「ケンポウさん」と考えました。

    ◇

――両国の経験から、どんな教訓が得られるのでしょうか?

まずは憲法改正についての与野党を超えた幅広い合意を得ること。それと時の政権に対する信任投票にならないように注意することですな。

――でも自民、公明の与党と改憲に前向きな姿勢の野党を合わせれば、改正の国会発議に必要な3分の2以上の勢力はすでにありますよね?

国会の議席数と憲法についての世論の分布は必ずしも一致していない。幅広い合意というのは、大多数の国民が「なるほどこれなら改正すべきだ」と納得できるような内容でなければ、やるべきではないということだ。
仮に国民投票が51対49の結果になれば、49の側には大きな不満が残る。国の最高法規の改正でそんなことになっては禍根を残す。実際、僅差(きんさ)でEU離脱を決めた英国では残留派の不満が渦巻いた。

――「政権の信任投票にならないように」とは?

イタリアでは今回の改憲案は上下両院でそれぞれ2度可決された。ただ、3分の2以上の賛成を得られなかったため、レンツィ前首相はあえて投票を実施することにして「その成否に進退をかける」と表明した。実はレンツィさんは与党の党首だったけれど、選挙で選ばれた国会議員ではなかったんだ。そこで国民投票で承認を得られれば、自身の政治基盤を強化できると思ったようだ。その思惑が裏目に出た。

――自業自得というわけですか。

ただ、それによってイタリア政治の長年の懸案を解決するための二院制改革がつぶれてしまった。改革そのものにはイタリア国民の9割が支持していただけに、もったいなかったという見方もできますなあ。

■視察報告書、サイトで公開 

衆院憲法審査会の議員団は昨年7月11日から同月20日まで、英国とイタリア、スウェーデンを訪問。スウェーデンでは教育無償化などに関して調査した。森会長以外の参加議員(前議員を含む)は中谷元上川陽子(以上自民)、武正公一民進)、北側一雄(公明)、大平喜信(共産)、足立康史(維新)の各氏。議員団が昨年11月にまとめた報告書は約400ページ。衆議院ウェブサイトで公開されている。