旧優生保護法 負の歴史を直視する - 東京新聞(2018年2月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018020102000152.html
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優生保護法は、障害のある人たちから子を産み育てる権利を奪った。障害の有無にかかわらず尊重し合う共生社会へ、直視せねばならない負の歴史である。人間の尊厳を問い直す契機としたい。
優生保護法の下で、知的障害を理由に十五歳で不妊手術を強制され、人権を侵害されたとして、宮城県の女性が国に損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。旧優生保護法違憲性が司法の場で初めて問われることになった。
国民は個人として尊重され、子どもを産み育てるかどうかは自らの自由な意思で決められる幸福追求権を持つ。もとより障害や病気があるかないかによらず、法の下に平等である。
女性側は、旧優生保護法はそうした憲法の規定に違反すると主張している。国はこれまで「当時は適法だった」との立場を取り、被害実態の解明にさえ及び腰だ。
優生保護法は、戦後の人口増加に伴う食糧不足を背景に一九四八年に制定された。ナチス・ドイツの優生思想に根ざした断種法の考えを取り入れたといわれる国民優生法が前身だった。
「不良な子孫の出生防止」を目的とし、精神障害や知的障害、ハンセン病などを理由とした不妊手術を認めていた。法律に基づき手術を施された人たちは約二万五千人、このうち約一万六千五百人は手術を強制されたとみられる。
宮城県に残る不妊手術を施された八百五十九人の資料では、全体の52%が未成年者だった。手術の理由は「遺伝性精神薄弱」が八割を超えて最多だった。幼い子どもにまで身体上の負担を強いたとされ、非人道性が浮かび上がる。
優生保護法は障害者差別に当たると認め、国が優生思想に関係する規定を削除して、母体保護法に改正したのは九六年だった。
その後、政府も国会も事実上だんまりを決め込んでいる。同様の問題が持ち上がったスウェーデンやドイツでは、国が正式に謝罪して救済に道を開いた。日本の人権意識の低さがひときわ目立つ。
二〇一六年に相模原市で障害者たちが殺傷された事件でも、優生思想が表面化した。偏見や差別は根強くはびこっている。
優生保護法による人権侵害について、国連の自由権規約委員会女性差別撤廃委員会は救済措置を勧告してきた。国は過去の失政を反省し、全容を明らかにして被害回復を図るべきである。人権と差別の問題をどう克服するか。私たち一人一人も問われている。