復活可能性都市へ(4)小学校再開、島に元気 - 西日本新聞(2018年1月12日)

https://www.nishinippon.co.jp/feature/i_live_here/article/385868/
http://archive.is/2018.01.19-000216/https://www.nishinippon.co.jp/feature/i_live_here/article/385868/

人口約90人の離島に、希望の波が寄せている。
奄美群島南部の小さな島の一つ、請島(うけじま)(鹿児島県瀬戸内町)。島唯一の小学校の池地(いけじ)小は昨春、児童2人がそれぞれの家族と移住して3年ぶりに再開し、子どもたちの声が校舎に響く。
「島の伝統は何ですか」「豊年祭や八月踊りです」。3年生の野崎凰(こう)(9)は、担任の脇園康人(25)と2人だけの授業で、1年生の三ノ京楓花(さんのきょうふうか)(6)と一緒に体験した島の風習を、大きな声で答えた。
学校再開は、島民を元気づけた。希少な花「ウケユリ」の保護活動をしている勝哲弘(75)は、学校行事の観察会で2人を案内した。島を挙げた運動会で披露する八月踊りを指導した福原栄子(78)は、今年の練習を指折り数えて待つ。
赤や白の南国の花々が咲き誇る夏、楓花が作った短歌は、県内のコンテストで最優秀賞を受賞した。
「こんにちは でいごうけゆり きれいだな きょうからここが ふるさとになる」
作品を載せた「学校だより」は島の全62戸に配られた。誰もがわが子のように喜んだ。

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畜産や農業が中心の請島には小さな食料品店はあるが、コンビニも駐在所も病院もない。奄美大島から1時間かかる定期便は1日1便。自営業以外に働き口は少なく、子どもたちは池地小併設の池地中(2014年から休校)を卒業すると、ほとんどが島を離れる。
楓花の父、三ノ京浩人(ひろひと)(53)も島で生まれ、15歳で島を出た。時折、実家に戻るたびに空き家が増えていくのが、たまらなく寂しかった。「島を守りたい」との思いが募り、奄美大島から移住した。今は建設業アルバイト、妻順子(42)は池地小用務員として働く。
母が請島出身の野崎真奈美(37)は、凰と長男の竜翔(りゅうしょう)(5)とともに同じ奄美大島から移住。現在は島の郵便局に勤めている。
島唯一の診療所に常駐する看護師の請畑美由紀(40)は、健康チェックで巡回する高齢者から、運動会など学校の話題をよく聞くようになった。「子どもたちの声や懸命に頑張る姿が、住民の力になっている」

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三ノ京は帰郷後、島の区長になった。お年寄りたちが米やガソリンを奄美大島の店に電話注文し、船で港に届くと、一輪車や、荷台を積んだ耕運機で自宅まで運んでいる姿が気になった。東京での会社勤めから請島に昨春帰郷した益岡一富(64)らと高齢者の暮らしを支える「請島うけゆり会」をつくり、荷物を車で運び、島内の送迎なども無償で始めた。お年寄りの孤立を防ごうと、海岸や墓の清掃、花植えを集落総出で行う日も設けた。
益岡は、通学路沿いの実家が代々営んできた商店を再開させた。夕暮れ時には、店を吹き抜ける浜風に住民たちの笑い声が重なる。
学校再開は、集落に少しずつ「化学反応」を起こしている。
三ノ京は、請島のホームページを作成し、澄んだ海や池地小の活動記録といった島の魅力を発信しようと計画を練る。「うもーれ請島(島の方言で、いらっしゃいの意味)」。タイトルは浮かんでいる。 =敬称略