ニッポンの大問題 天皇退位の歴史から - 東京新聞(2018年1月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018010402000151.html
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天皇陛下の退位が二〇一九年四月末と決まりました。既に儀式の方法などの検討に入っているでしょう。明治時代からの退位論の歴史を振り返ります。
東京の中心部には、緑に包まれた皇居の森があります。周囲約五キロの内堀に囲まれて、そこは外観上いわば「飛び地」になっているようです。
憲法学の世界でも、そこは「身分制の飛び地」と呼ばれています。意外かもしれませんが、日本国憲法は身分制の憲法とされます。天皇、皇族、国民という三つの身分があるからです。

◆「究極の『人権』を語れ
天皇家には特権がありますが、逆に選挙権や職業選択の自由などがありません。憲法が保障する表現の自由や人権が大幅に制限されています。これは天皇制という「飛び地」ゆえです。
飛び地論は有力な学説ですが、これは故・奥平康弘東大名誉教授が嚆矢(こうし)で、奥平氏は退位について著書「『萬(ばん)世一系』の研究」で、次のように記しています。

<「退位の不自由」(中略)にかぎっては、権利保障体系にもとづいて、究極の『人権』が語られるべきだと思う>

そして、奥平氏は「脱出の権利」を説いたのです。突飛(とっぴ)な意見ではありません。明治時代の旧皇室典範制定時にも同じ意見が出ています。一八八七(明治二十)年のことです。宮内省図書頭(ずしょのかみ)・井上毅(こわし)が考えた案では、天皇は終身在位を原則としつつ、例外的に生前譲位を認めるものでした。
総理大臣であった伊藤博文の別邸での検討会で、井上は西欧人学者の論を引いて述べます。
「至尊(天子)といえども人類なれば、欲せざる時はいつにてもその位より去るを得べし」
でも、伊藤は当初から「天皇が終身大位に当(あた)るはもちろんなり」とし、天皇の終身在位制の姿勢を崩しませんでした。

◆「天子といえど人類」
井上毅は七二(明治五)年に使節団の一員として渡欧し、フランス中心に司法制度を研究した人です。「天子といえども人類なれば」とは、まさに「究極の人権」を語っているようです。
また井上は明治憲法制定にもかかわり、同時に日本の古典を調べています。六四五年の皇極天皇から二百一年前の光格天皇まで計五十八例の譲位があったことも念頭にあったのかもしれません。
でも、天皇は崩ずるまで在位する−。この仕組みは終戦直後の天皇の「人間宣言」、そして日本国憲法の施行を経ても変わることはありませんでした。
ただ、変えるタイミングはありました。戦争責任による天皇退位論です。例えば一九四六年十二月十六日の貴族院の本会議を聞いてみましょう。南原繁議員はこんな質問をしています。
天皇が生前に退位することを認めていない。しかし、天皇が生きているうちに、天皇の地位を退く必要が生じないとはいえないから、そのときのために、この法律(皇室典範)に退位の手続きを決めておくのが適当でないか」
南原は東京帝大総長、そして貴族院議員に勅撰(ちょくせん)された人物です。既に退位すべきだとの意見も発表していました。
答弁した国務大臣幣原喜重郎(前首相)は「はなはだ好ましからざる混乱の事態を生じやしないかと思う」と述べました。とにかく戦争責任論は封じ込めたかったのでしょう。
憲法学の世界でも天皇論が熱く語られます。憲法には国事行為しか書いていません。では、国会開会式での「おことば」はどう位置付けるのか。国民体育大会や植樹祭などへの天皇の出席はどう考えるのか。
東北大学の清宮四郎はもともと天皇には「象徴としての地位」があり、国事行為と私的行為とは別系統の行為の類型があると指摘しました。これが公的行為です。
これに対し、東大の宮沢俊義は「憲法の認めない天皇の行為の種類を新たに認めることは、憲法の定める天皇の非政治化の要請に反しよう」と批判しました。
ただ、現実は動いていきます。五三年には、英国エリザベス女王戴冠式がありました。「立太子の礼」を終えた皇太子(今上陛下)が参列しました。事実上の公的行為だと考えられました。

◆陛下の歴史的な言葉
今上天皇がいかに公的行為を大事になさったかは、一昨年八月のビデオメッセージでよく伝わりました。戦争や災害…。国内外に出掛けられ、苦難に向き合う。祈る。それが高齢により困難になった−。国民も共感しました。
ご自分の人生さえ決められない立場の陛下が初めて決めた−、それに等しい歴史的な出来事なのです。皇室について国民それぞれがよく考える機会です。