「『座間9人遺体事件』を機に、裁判員裁判のあり方の見直しを」江川紹子の提言 - Business Journal(2017年11月13日)

http://biz-journal.jp/2017/11/post_21340.html

国民の裁判員制度に対する参加意欲は低下する一方。
裁判員候補者の呼出しがあった者のうち、実際に選任手続のために裁判所に出頭する人の比率(出頭率)は年々下がり続け,ついに,23.3%まで低下。
4人に1人も出頭していないのが現状だ。
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最近、テレビのニュース番組を見るのが憂鬱だ。神奈川県座間市のアパートで9人もの切断された遺体が発見された事件について報じられるからだ。これまでも遺体をバラバラにして捨てる事件はいくつも起きているが、2カ月余りという短期間に、しかもそれまで面識のなかった人たちをSNSで次々と自宅におびき寄せて殺害し、これだけの遺体損壊に及ぶ事件は聞いたことがない。その凄惨さと猟奇性には、ニュースを見るたびに慄然とさせられる。
理解不能な容疑者の供述
犯人の意図が理解できない点でも、本件はひどく不気味だ。
昨年7月に神奈川県相模原市の障害者施設で、重度の障害者を狙い、45人を死傷させた事件にも強い衝撃を受けたし、植松聖被告が語る優生思想的な犯行動機には恐ろしさや憤りを感じたが、それでも彼がなぜ事件を起こしたのか、その理由として理解可能であった。
ところが、今回の事件の場合、動機が何なのか、かくも連続した強い殺人衝動にかられたのはなぜなのか、その心理は常人には想像もつかない。
そのうえ、逮捕された白石隆浩容疑者の自宅には被害者名義のキャッシュカードや診察券、女性用の靴、かばんなど、身元確認につながる被害者の所持品がいくつも見つかったという。なぜ、そういうものを残しておいたのかもわかりにくい。
さらに、逮捕後は自身に不利益なことを次々に自供している様子が報じられている。
たとえば、ツイッターに自殺願望を書き込んだ人を誘い出したものの、「本当に死にたい人はいなかった」と述べたという。この供述は、自殺ほう助罪か嘱託殺人罪(最高で懲役7年)を主張して死刑を免れる可能性を、自ら放棄したように思える。
9人もの殺人と死体損壊が認定されれば、裁判で死刑が言い渡されるだろうことは、どんな素人でも容易に予想がつくだろう。本件では遺体の損傷が激しく、死因の特定が難しいと伝えられ、犯行の詳細を知るには、本人の供述が重要になってくる。一貫して、「自殺を助けただけ」「殺してほしいと頼まれた」と主張していれば、裁判で検察側の立証のハードルが高くなるため、捜査側は非常に困難な状況に陥ったかもしれない。
ところが彼は、早々に殺人を認める供述をしたという。いったい何を考えているのだろうか。もしかして、被害者よりも、白石容疑者自身の中に潜在的な自殺願望があって人生に投げやりになっていたのではないか。
裁判員裁判員にかかる負担
いずれにせよ、本件では入念な精神鑑定を行って、彼の心の闇に少しでも光を当てる努力が必要だ。裁判が始まるまでに、かなり時間を要することになっても、その手間と時間を惜しんではならない。
最近の白石容疑者は、供述調書の署名を拒否していると伝えられている。弁護士の助言に応じたのか、命が惜しくなってきたのか、その意図は不明だ。
ただ、今になって署名拒否をしても、このような重大事件では、警察は取り調べの最初から録音録画をしているはずだ。警察庁の発表によれば、昨年10月から今年3月までの半年で、裁判員裁判対象事件1432件のうち、77%にあたる1108件で全過程の録音録画を実施していた。
調書の署名を拒否しても、裁判になれば、検察は取り調べを録音録画したDVDを証拠請求し、裁判所はそれを証拠採用することになるだろう。今後、黙秘に転じたとしても、捜査の初期の段階で9人の殺人を認め、その供述が任意で行われている様子が映像で確認できれば、殺人罪での有罪方向の有力な証拠として扱われるはずだ。


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自白のみで有罪は認定できないが、捜査によって被害者たちの生前の言動などから自殺の強い意思がなかったことがわかれば、それが重要な状況証拠になって、捜査段階の自白を支えるだろう。そのような説得力のある状況証拠をどれだけ集めることができるかが、今後の捜査のポイントのひとつだ。
そして、殺人罪で起訴されれば、裁判員裁判で裁かれることになる。しかし、果たして本件は裁判員裁判に馴染むのだろうか。事件数が多く、争った場合には時間がかかる。これだけ異常な事件では、裁判員の「市民感覚」が生かされる余地がほとんどない。そのうえ、こうした猟奇的事件は、裁判員心理的負担が重すぎる。
以前、強盗殺人事件の裁判で裁判員を務めた女性が、証拠採用された現場や遺体の写真を見たり、消防に助けを求める被害者の声の録音を聞いたりしたことで、急性ストレス障害を発症したとして、国に損害賠償を求める訴訟を起こしたことがあった。この女性は、裁判が終わった後も、心身の不調に苦しみ、仕事も失った、という。
裁判員向けのメンタルヘルスサポートはあるものの、一度受けた精神的ダメージは、そう容易には回復するものではない。
職業裁判官は、職業の自由がある中で、自分でその道を選択した人たちだ。弁護人を務める弁護士も、事件を受任するかどうかを自分で判断できる。これに対し裁判員は、自分が引いたわけでもないクジで、たまたま当たってしまった人たちが呼び出される。
この女性は、国民に裁判員制度への参加を義務付けるのは、憲法が禁じる「意に反した苦役」に当たると主張したが、判決は「裁判員の辞退を弾力的に認め、負担を軽減するさまざまな措置があり、国民の負担は合理的な範囲にとどまる」として訴えを退けた。女性は最高裁まで争ったが、敗訴が確定している。
こうした訴えもあり、裁判所は、遺体写真など刺激の強い証拠に関しては、立証に必要不可欠かを、公判前整理手続の段階で吟味し、検察が写真ではなくイラストで代用するなど、裁判員の負担を減らすなどの配慮をするようにはなっている。
とはいえ、人を裁く以上、現実を直視することが大事だろう。証拠の“マイルド化”は、被害の実態を矮小化しかねない。
じり貧状態の裁判員制度
裁判員法では、例外的に職業裁判官のみの裁判で行う場合の規程を定めている。ただし、それは被告人の言動や被告人が所属する組織の構成員らの言動によって「生命、身体若しくは財産に危害が加えられるおそれ又はこれらの者の生活の平穏が著しく侵害されるおそれ」があり、それを恐れて裁判員の確保が困難な状況になった場合のみだ。
果たして、このままでいいのだろうか。


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そうでなくても、国民の裁判員制度に対する参加意欲は低下する一方だ。裁判員候補者への呼出状には、「正当な理由がなく呼出しに応じないときは10万円以下の過料に処せられることがあります」という趣旨の記述もされているが、呼び出しがあった者のうち、実際に選任手続きのために裁判所に出頭する人の比率(出頭率)は年々下がり続けている。最高裁の調査では、今年は9月末時点で23.3%。4人に1人も出頭していないのが現状だ。参加する者が減れば、裁判員の構成にも偏りが出る懸念がある。
出頭率の低下の理由として、最高裁は審理予定日数の増加や、人手不足など雇用情勢の変化、高齢化などを原因に挙げているが、今回のケースのように、市民感覚とはほど遠い事件につきあわされることの負担というのも無視できないのではないか。
最高裁が行っている裁判員経験者を対象にしたアンケート調査では、毎年「(非常に)よい経験と感じた」と答える者が95%以上に上っている。ただし、これは判決が言い渡されて裁判が終結し、裁判員たちの気持ちがもっとも高揚し、充実感を覚えている時に行うから、こんな異常な数字になるのだろう。
書面中心の裁判を公判中心に転換したり、裁判員裁判を対象に取り調べの録音録画が捜査機関に義務付けられたりしたことなど、裁判員裁判を導入したメリットもある。しかし、このままでは裁判員制度はじり貧といわざるをえない。
本当に、今のように殺人事件すべてを裁判員裁判とするのがいいのか、という点を含め、今回の事件を機に、裁判員裁判のあり方を、もう一度見直す必要があるように思う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)