時代の正体〈535〉拉致問題 利用するな 被害者家族連絡会元事務局長・蓮池透さん - 神奈川新聞 (2017年10月11日)

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【時代の正体取材班=石橋 学】どの口が「国難」などと言うのかとあきれた。不作為を棚に上げ、北朝鮮への圧力強化を信に問う厚顔も見慣れたものだった。拉致被害者家族の蓮池透さん(62)は身に染みている。「また政治利用だ」。対北朝鮮強硬派の急先鋒(せんぽう)が対話での解決を訴えるようになって久しい。自責の念を込め、憲法9条改正を公約に掲げるに至った安倍晋三首相とそこに連なる政治への批判を語る。
北朝鮮が拉致を認めて15年の節目を迎えた9月17日の「国民大集会」。被害者家族を前に安倍首相は「被害者と家族が抱き合う日まで私の使命は終わらない」といつものフレーズを繰り返した〉
あらためて残酷だと思う。展望もないまま老齢の家族に見果てぬ夢を与え続けている。スピーチの最中に「何年たっているんですか」とやじが飛んだそうだが、その通り。経済制裁を加えればもがき苦しみ、ごめんなさいとひれ伏し、拉致被害者を差し出してくる。そんな戦略なき圧力が意味をなさないのはもはや15年という歴史が証明している。
拉致も核もミサイルも一緒くたにして「断固、許さない」などと情緒的な言葉を繰り返す無策ぶりに、解決する気などないのだと感じてきた。それどころかトランプ米大統領に追従する姿には一緒になって戦争がしたいのかという疑念さえ持つ。その米国は水面下で交渉しているというのに、国連での「必要なのは対話ではなく圧力」という演説はもはや宣戦布告だ。今にして思えば「国難突破解散」の布石だったのだろうが、国難があるとすれば外交の不作為が招く危機をこそ指すのだろう。
多くの識者が指摘しているように、朝鮮戦争は休戦状態にすぎず、北朝鮮からすれば米国にいつ攻め込まれてもおかしくないという危機感がある。軍事超大国に物量でかなうはずがない。だから核開発を進めてきた。核保有国という対等の立場で交渉のテーブルに着き、休戦協定を和平協定に変えたい。それが北朝鮮の狙いだ。
朝鮮半島有事は北朝鮮に残る拉致被害者の生命の危機に他ならない。日本は進んで米朝間の調停役になるべきなのに、偶発的軍事衝突を招きかねないトランプ大統領の挑発をいさめることさえせず、対話さえ否定した安倍首相は自ら拉致被害者を危機にさらしているとさえ言える。

無知の責任
〈「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長時代には、改憲派の集会に招かれ「憲法9条が解決の足かせになっている」と発言したこともある。自民党タカ派政治家に促されるまま話してしまったと後に悔悟を明かしている〉
変節と言われるが、自分なりに学び、考えが深化したと自分では思っている。制裁は効果がないのだから別の方法を考えるべきだと言っているだけだ。これが左に偏って映るなら、それだけ世の中が右に傾いたということだ。

拉致問題は右寄りの政治家にとって都合のいいカードであり、手放したくないカードだったのだ。アジア侵略の加害国である日本が初めて被害者として胸を張って振る舞うことができるようになったからだ。
私がそうだった。拉致が「疑惑」だったころは誰も耳を傾けてくれなかったのに突如スポットライトを浴び、有頂天になった。被害者なのだから何を言っても許されると調子に乗った。学生時代は、はやりのウエストコーストロックに入れ込み、望んだわけでもない東京電力に就職し、新聞も読まず、政治に関心もなく、日々をやり過ごしていたノンポリ男が口にした「北朝鮮に制裁を」が、強硬な姿勢のアピールに躍起だった安倍氏を首相の座に押し上げる片棒を担いでしまった。
被害者意識が膨らめば加害の記憶は隅に追いやられていく。足かせが外れたかのように安倍政権は集団的自衛権の行使容認に踏み切り、安全保障関連法によって海外での戦争に道を開いた。そして本丸である9条の改正を公約に入れるに至った。
無知ゆえの自分の右巻きな発言に責任を感じるとともに、一方では思いも寄らなかったと言うほかない。「救い出してくれ」の願いはあっという間に「北朝鮮憎し」に変換され、朝鮮学校の高校無償化からの除外といった八つ当たり以外の何ものでもない政策がまかり通る。責められるべきではないとわきまえていたはずの在日コリアンへのヘイトスピーチが街中で横行する。政権の暴走を許容し、後押しさえした根っこにあるものは何か。朝鮮半島との間に横たわる問題への関心は時間とともに強まっていった。...