朝鮮通信使 「誠信交隣」に学びたい - 東京新聞(2017年11月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017110602000141.html
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朝鮮通信使に関する記録が「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されることが決まった。日韓両国の市民団体が「平和の遺産」として共同申請したことが評価されたもので、率直に喜びたい。
見出しにある「誠信交隣」(誠実と信頼の交際)は、通信使に随行した対馬藩儒学者雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が重視した言葉だ。それを実践した朝鮮通信使は、平和外交の模範といえる。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の事業である記憶遺産への登録が決まったのは、「朝鮮通信使に関する記録」計三百三十三点で、両国に残る外交文書、絵巻などが含まれる。
朝鮮通信使は、豊臣秀吉朝鮮出兵で途絶えた朝鮮と日本の関係改善が狙いだった。朝鮮国王が徳川将軍家に派遣し、江戸時代の約二百年間に計十二回実施された。
五百人にも及ぶ大使節団は、釜山から日本の対馬に渡り、大阪、名古屋、静岡などを経て、江戸で国王の書簡「国書」を手渡した。
宿所には日本の学者らが競って訪れ、学問論議を交わした。庶民も異国情緒あふれる行列を楽しみ、その姿は今も各地に絵図や人形として残っている。
朝鮮側も、沿道で出迎える人々の礼儀正しさを知って、日本への警戒心を和らげたと伝えられる。
今回の登録には、もうひとつの意味がある。韓国の民間団体「釜山文化財団」と、「NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会」(事務局・長崎県対馬市)が、四年の歳月をかけて各地で関連の事業を行い、通信使の意義をアピールし、相互の理解を深めたことだ。
共同申請では、資料の選定、費用負担などで、二つの団体の意見が対立することもあった。
朝鮮通信使」の英語表記もその一つだった。韓国語では「チョソン トンシンサ」と読む。結局、日韓の読み方を英語に直して、併記した。「誠信交隣」の精神を示そうと双方が譲った。
記憶遺産に関しては、中国の南京事件資料や日本のシベリア抑留資料の登録を巡り、日本と周辺国で摩擦が起きた。今回も旧日本軍の慰安婦関連資料の申請があったが、登録判断は延期されている。
記憶遺産は、摩擦を拡大するためのものではないはずだ。
あらためて、二つの国を近づけた朝鮮通信使の知恵と工夫を学びたい。そして、国を超えて民間団体が共同申請する今回のような記憶遺産を、増やしていきたい。