(筆洗)「それで本当に大丈夫なのかね」としつこく問い続ける - 東京新聞(2017年10月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017101502000100.html
https://megalodon.jp/2017-1015-1019-58/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017101502000100.html

「悪魔の代弁者」と聞けば、ほとんどの人は論戦に勝利するためならば、どんな汚い手も辞さぬ底意地の悪い人物を思い浮かべるだろうが、さにあらず。悪魔という名とは裏腹に、その代弁者の役割は大切である。
ディベート(討論)などで、議論を深めるため、あえて多数派の意見に逆らい、反論する人をいう。元はローマ・カトリックの宗教用語。ある人物を「聖人」として認めるかどうかの審査会で、あえて、その人物がふさわしくないという立場から意見や論拠を述べる「検事」のことをそう呼んだそうだ。
なるほど、なにごとにおいても、吟味を尽くし、判断するためには意地の悪い悪魔やつむじ曲がりの「天(あま)の邪鬼(じゃく)」の目は必要であろう。
総選挙の投票日がいよいよ迫ってきた。おそらく、今のわれわれに求められているのは「悪魔の代弁者」になることではないだろうか。心に決めた党や候補が既にいらっしゃるかもしれぬが、人の良い目や優しい耳ではなく、アラを探す目と疑り深い耳で、その主張をもう一度、聞き直し点検したい。
事前の世論調査の結果によって、各党の予測議席などが報道されているが、現段階での傾向にすぎぬ。悪魔は流されることも同調することもなく、「それで本当に大丈夫なのかね」としつこく問い続けるはずである。
大切な一票である。こと選挙に限っては悪魔は有権者の友である。