公文書管理 法の原点に立ち返れ - 朝日新聞(2017年9月25日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13149965.html
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公の文書をどう管理し、国民に対する説明責任を果たすか。近づく衆院選でも、しっかり議論すべきテーマである。
政府が先ごろ管理方法の見直し策を示した。だが森友・加計学園問題やPKO日報の隠蔽(いんぺい)で明らかになった、ずさんな取り扱いを改めさせることに、どこまでつながるだろうか。
内閣官房の検討チームが打ち出した柱の一つは、政策立案や事業の実施に「影響を及ぼす打ち合わせ」については、相手が行政機関か民間かを問わず、文書を作成するというものだ。
当然の話だ。作らなくても問題にならない現状がおかしい。だが、打ち合わせた相手の発言を記録する際は、できるだけその相手に内容を確認するとした点には疑問がある。政府の狙いが透けて見えるからだ。
加計学園獣医学部新設をめぐり、文科省には、内閣府から「(開学時期は)総理のご意向だ」と伝えられたとする文書などが残っていた。検討チームの方針にそのまま従えば、こうした発言は確認を拒まれ、当たり障りのない「きれいな記録」しか作られなくなるだろう。
相手の確認を必要とする理由は「正確性の確保」だという。だが求められる正確性とは、省庁間の意見の違いや政治家の指示など、意思決定過程をありのまま残すことだ。加計問題の教訓をとり違え、悪用し、真相を隠す方向に働きかねないルールを設けるべきではない。
これとは別に、有識者でつくる内閣府の公文書管理委員会も文書管理に関するガイドラインの改訂にとり組んでいる。
森友問題で財務省が、国有地の売却記録を「保存期間1年未満」に分類し廃棄したと説明したことなどを受け、役所に勝手をさせず、保存範囲を広げる方向で議論は進んでいる。
それでも、長期保存の要件とされる「重要」「異例」などを判断するのは官僚だ。自分らに都合よく解釈して廃棄してしまうおそれは消えない。また、時間が経ち、政策が動き出したところで重要性が認識されても、それまでの記録は処分済みという事態も考えられる。
多くの文書が電子化され、紙に比べてコストがかからないことを踏まえ、長期保存を原則とする。重要か否かの判断を役所任せにせず、第三者の専門家や国民の意見を聞く――。そんな方策も考えてはどうか。
何より大事なのは公務員の自覚だ。公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定める法の趣旨を、いま一度かみしめるべきだ。