(余録)「ナチカル」という言葉がある… - 毎日新聞(2017年8月31日)

https://mainichi.jp/articles/20170831/ddm/001/070/151000c
http://archive.is/2017.08.31-002106/https://mainichi.jp/articles/20170831/ddm/001/070/151000c

「ナチカル」という言葉がある。メディア史研究の佐藤卓己(さとう・たくみ)さんの編著書「ヒトラーの呪縛」(中公文庫・上下)が指摘した日本のマンガや映画、ポップスなどが好んで用いるナチスの文化(カルチャー)をいう。
なるほど親衛隊風の服や、かぎ十字風のマーク、ナチ式敬礼などをインパクトのある意(い)匠(しょう)として利用してきた日本の大衆文化である。ユダヤ人虐殺をはじめナチスのまがまがしい記憶の薄い日本の社会ならではのイメージ消費だろう。
だが昨年、人気アイドルグループのナチ風コスチュームがネットで世界中に拡散し、ユダヤ系人権団体の批判を受けて謝罪に追い込まれた。今やナチスの所業への認識を欠いたナチカルの国内消費は国際的指弾を覚悟せねばならない。
こちらはアイドルグループならぬ一国の副総理だ。「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺したヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもだめだ」。こう語った麻生太郎(あそう・たろう)氏が「ヒトラーは動機も誤っていた」として発言を撤回した。
ヒトラーの動機が「正しい」とも受け取られる失言だったが、麻生氏は以前も憲法をめぐって「ナチスの手口」に学べと発言して後に撤回している。まさか麻生氏がナチスの支持者とは思わないが、ナチカルマニアなのかもしれない。
首相も務めた日本の指導的政治家が、ことナチスについて軽率な発言をすればどんな国際的波紋が起こるかを知らないはずがない。失われるのは日本の世界的な信用だ。まことに政治は「結果責任」である。