麻生副総理 あまりにも言葉が軽い - 朝日新聞(2017年8月31日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13110252.html
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首相や外相を歴任した政治家として、あまりにも軽すぎる発言である。
麻生副総理兼財務相がおととい、自らの自民党派閥の研修会でこう語った。
「(政治家になる)動機は私は問わない。結果が大事だ。いくら動機が正しくても、何百万人も殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ」
何が言いたいのかよくわからないが、ヒトラーが率いたナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)に、正当な動機があったとの考えを示したとも受け取られかねない。
麻生氏はきのう「ヒトラーを例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とするコメントを出した。「私がヒトラーについて、極めて否定的にとらえていることは発言の全体から明らかであり、ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らか」としている。
理解不能である。
ならばなぜ「動機が正しくても」と2度も繰り返したのか。
ナチス強制収容所ユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害し、数百万人が犠牲になった。残虐極まる蛮行に正しい動機などありえるはずがない。
欧米では、ナチスヒトラーを肯定するような閣僚の発言は直ちに進退問題につながる。安倍政権の重鎮である麻生氏が、このような発言を国内外に発信した責任は重い。
ナチスを引き合いに出した麻生氏の発言は、今回が初めてではない。
2013年には憲法改正をめぐり、「ある日気づいたら、ワイマール憲法ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と発言。批判を浴びると、「誤解を招く結果となった」と撤回した。
麻生氏はきのうのコメントでも「私の発言が誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明した。
発言が問題視されると、誤解だとして撤回し、とりあえず批判をかわす。自らの発した言葉への反省は置き去りにし、また過ちを重ねる……。
麻生氏に限らず、そんな軽々しい政治家の言動を何度、見せつけられてきたことか。
政治家にとって言葉は命である。人びとを動かすのも、失望させるのも言葉によってだ。
その言葉がこれほどまでに無神経に使い捨てられている。
そんなものかと、この状況を見過ごすことは、この国の政治と社会の基盤を掘り崩すことにつながる。