政治と世論を考える<3> 輿論と世論の違いは? - 東京新聞(2017年8月23日)

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「世論」と書いて、「よろん」と発音する人もいるし、「せろん」と発音する人もいる。
京都大学佐藤卓己教授によれば、一九八〇年の調査では「せろん」と読む人が過半数だったが、それから約十年後には逆転して、「よろん」が六割を占めているのだという。偶然ではない。
「戦前に教育を受けた世代と戦後の世代で多数派が交代した結果なのです」(佐藤教授)
輿論(よろん)」とは「天下の公論」であり、「世論」は明治時代の新語で、大正時代の辞書では「外道の言論、悪論」と書かれているそうだ。だから、戦前に教育を受けた世代が「世論」を「よろん」と読むことはありえないのである。
軍人勅諭にもこんなくだりがある。「世論に惑は(わ)ず政治に拘(かかわ)らず」−。この場合も「世論」が「外道の言論」なのだからであろう。
戦後、当用漢字表から「輿」の文字が除外され、「よろん」に「世論」の字が当てられるようになり、「よろん派」「せろん派」の二派が登場することになる。
では、新聞社が行う世論調査は、「せろん派」で世の中の空気を読むだけの国民感情調査なのだろうか。それとも「よろん派」で、責任ある意見をくみ取る調査なのだろうか。この判定は場合にもよるが、どちらとも言い難い。
専修大学山田健太教授は「欧米では社会の階層ごとに読む新聞が違っています。例えば英国ならば上の層ではガーディアン紙、下の層ではイエローペーパーでしょう。しかし、日本の場合は違います。どんな市民でも読むメディアの差はありません」という。
確かにサラリーマンでも、大学教授でも読んでいる新聞は、ほぼ同様のものであり、メディアの質そのものに大きな違いがない。お年寄りも老眼鏡を頼りにじっくり記事や社説を読む。
「日本の読者は、新聞を読んで、知識を蓄えているわけで、新聞社の行う世論調査がたんなる『国民感情調査』に陥っているわけではないと思います。知識を持ち、意見を持った『輿論調査』の面もあると思うのです」
「世論に問う」−。難しい政治テーマについて、こんな言葉を政治家がいう時代になっている。例えば劇場型政治がそうだ。賛成・反対で社会分断を図る。単純な言葉で世論を動かそうとする政治手法にメディアがどう対抗できるか問われる時代でもある。