暮らし<家族が欲しくて>(1)非情の通告 なぜ?「母子隔離」 - 東京新聞(2017年8月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201708/CK2017081602000185.html
https://megalodon.jp/2017-0823-0946-38/www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201708/CK2017081602000185.html

家族に恵まれない不遇な生い立ちゆえに、未婚であってもあえて出産する女性が増えている。二十歳前後で目立ち、最近の調査によると、十代で出産する女性のうち未婚の割合は約三割に上る。精神的な負担や経済的な困難を抱えてでも産む理由を「家族が欲しいから」と答える人が多いという。二十歳で妊娠した女性と、彼女の出産、育児を支える人たちを追った。 (芳賀美幸)
すやすやと眠る息子に、美咲さん(21)=仮名=はスマートフォンのカメラを向けた。生後三カ月。スマホに保存された数十枚の写真が、一日、一日と成長していく息子の姿を記録している。お気に入りの一枚は、市派遣のホームヘルパーの女性が撮ってくれた。
「赤ちゃんの笑顔って筋肉の条件反射なんですって。そうと分かっていても、笑顔を見るとうれしい」
写真にこだわる理由がある。「私が赤ちゃんの時の写真ってほとんどない。だから、たくさん残してあげたくて」。両親に生活能力がなく、五歳の時に二つ下の妹と児童養護施設に預けられた。その後、両親は離婚し別々の家庭を持ったため、今も帰る家がない。
「友達には帰る家や家族が当たり前にあるのに、自分にはないことがずっとつらかった」
十五歳で施設を出た後、居場所を求めて援助交際や非行に手を染め、女子少年院に二度入った。少年院を出て、一カ月だけ付き合った交際相手と別れた後に、妊娠がわかった。その相手とは音信不通。周囲の人には「育てられない」と出産を反対された。
施設の職員に「もし育てられなかったら、子どもがどんなに寂しい思いをするかは、あなたがよく知っているでしょう」と言われた時、反発する気持ちが湧き上がった。「私は親に育ててもらえなかったけど、生きてて楽しいこともたくさんあった。自分のことを不幸だなんて思っていない」。逆に決意が固くなった。
「家族」を心待ちにしていたある日、医師から衝撃の通告を受けた。「出産後、子どもとは別々になるって、聞いてるかな」。何も聞かされていなかった。気分の変動が激しい「双極性スペクトラム」の診断を受けていた上に生活状況への不安から、児童相談所(児相)が出産後、子どもを隔離して「保護」することを決めている、と知った。
「何のために、悪い友達とも縁を切って頑張ってきたのか。一人で家にいて寂しくても耐えられたのは、おなかにいる子どもに会うため。会ったこともない人たちに決められたくない」
臨月の美咲さんから、電話で泣きながら訴えられた私も驚いた。昨年末、非行少年の支援団体を通じて彼女を知り、取材を重ねてきた。初めて「自分の家族」を持ち、人生の再出発にかける思いと彼女なりの努力を知るだけに、いたたまれない気持ちになった。
そのころ、市の福祉窓口の相談員の女性(48)が、私と同じように「保護」を決めた児相の判断に疑問を持ち、撤回を掛け合っていた。
「たとえ業務時間外でも彼女の家に泊まるぐらいの覚悟がある!」
強い口調で訴えた後、涙があふれてきたという。「妊娠後の美咲をずっと見てきて、彼女なら、という思いがあった。私たちは『できない』ではなく『できる』可能性に希望を見たい」。ヘルパー派遣など福祉サービスの利用計画を考える相談支援専門員の女性(34)も声を上げ、児相は「保護」を見直す検討を始めた。