国際化と司法 権力抑止は置き去りか - 朝日新聞(2017年8月19日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13093148.html
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国連の国際組織犯罪防止条約への加盟手続きが終了し、今月10日に効力が発生した。
政府が条約を結ぶために必要だと唱え、その主張の当否も含め、各方面から寄せられた数々の疑問を封じて成立させたのが「共謀罪」法である。
実際に行われた犯罪に対し罰を科すのが、日本の刑事法の原則だ。だがこの法律は、はるか手前の計画の段階から幅広く処罰の網をかける。薬物・銃器取引やテロなどの組織犯罪を防ぐには、摘発の時期を前倒ししなければならず、国際社会もそれを求めているというのが、この間の政府の説明だった。
他国との協調が大切であることに異論はない。伝統的な刑事司法の世界を墨守していては、時代の変化に対応できないという指摘には一理ある。
では政府は、国際社会の要請や潮流を常に真摯(しんし)に受けとめ、対応しているか。都合のいい点だけを拾い出し、つまみ食いしているのが実態ではないか。
たとえば今回、条約に加わる利点として、逃亡犯罪人の引き渡しが円滑になる可能性があると説明された。しかし引き渡しを阻む大きな理由としてかねて言われているのは、日本が死刑制度を維持していることだ。
91年に国連で死刑廃止条約が結ばれ、取りやめた国は140を超す。欧州などでは「死刑を続ける日本には犯罪人を引き渡せない」との声が広がる。ところが政府は、こうした世界の声には耳を傾けようとしない。
公務員による虐待や差別を防ぐために、政府から独立した救済機関をもうけるべきだという指摘に対しても、馬耳東風を決めこむ。国際規約にもとづき、人権を侵害された人が国連機関などに助けを直接求める「個人通報制度」についても、導入に動く気配はない。
権力のゆきすぎにブレーキをかける方策には手をつけず、犯罪摘発のアクセルだけ踏みこむ。そんなご都合主義が国内外の不信を招いている。
何を罪とし、どんな手続きを経て、どの程度の罰を科すか。それは、その国の歴史や文化にかかわり、国際的な統一にはなじまないとされてきた。
だが協調の流れは、より太く確かなものになっている。その認識に立ち、犯罪の摘発と人権擁護の間で、公正で均衡のとれたシステムを築く必要がある。
作業にあたっては、国民への丁寧な説明と十分な議論が不可欠だ。その営み抜きに、政権が強権で押し通した共謀罪法は、内容、手順とも、改めて厳しく批判されなければならない。