永山則夫を知り社会見つめて 都内に遺品ギャラリー - 東京新聞(2017年8月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017080402000244.html
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十九歳だった一九六八年に四人を射殺し、九七年に死刑執行された永山則夫元死刑囚の遺品を公開する施設が東京都北区に開館した。一時閉館したが、「第二、第三の永山を生んではいけない」という、かつての支援者の思いが再開につながった。刑執行から二十年。裁判を傍聴した記者は元死刑囚の手紙をまとめた本を出版。少年による犯罪に社会はどう向き合っていけばいいのか、現在に問い掛けている。 (石原真樹)
永山元死刑囚の死刑執行日である今月一日に再び開館した「いのちのギャラリー」は、元奈良市議の市原みちえさん(71)が、理髪店だった実家の一階・約三十三平方メートルを改装した。
永山元死刑囚が愛読していた「サルトル全集」や広辞苑などの蔵書を並べた本棚、逮捕前に履いていた靴や、処刑直前に着ていたシャツなどを展示し、獄中での暮らしを再現している。
市原さんは二十代の頃、「無知の涙」を読んだ。自分の罪と向き合うために、無学だった自らを省みようとする姿勢に心を揺さぶられ、手紙のやりとりや面会を重ねた。最後に面会したのは九七年七月二十八日。四日後に死刑執行された。
段ボール箱で約百二十個の遺品を引き取り、二〇一二年四月、展示ギャラリーを設けた。体調を崩して一四年秋に一度閉じるが、約二百人が訪れた。「永山を知り社会を見つめ直したい」「いのち、家族について考えた」などの言葉が芳名帳に残る。
市原さんは「殺した四人の命は取り返せない。だが、心から反省して、贖罪(しょくざい)の中で生きようと苦しんだのは本当だと思う。社会がどんなサポートをすれば事件を防げたのか、みんなで考えていきたい」と言う。
一方、永山裁判を傍聴し、本人に取材もした北海道新聞記者の嵯峨仁朗さん(57)は今年二月、永山が獄中結婚した元妻と送り合った手紙をまとめた書籍「死刑囚永山則夫の花嫁」(柏艪舎)を出版した。そこにあるのは「会えて楽しかった」など、たわいない男女のやりとり。元妻は嵯峨さんに「こんな時間を小さい頃に家族と過ごしていれば事件はなかったはず」と語ったという。
嵯峨さんは、事件は現在も重要な意味を持つと感じている。「死刑制度、少年事件、虐待。さまざまな問題が、ここから考えることができる」
ギャラリーは午後一時半〜七時半。入場無料。不定休。見学に関する問い合わせは市原さん=電090(9333)8807=へ。

<永山事件> 北海道網走市の貧しい家庭に生まれ、母親や兄から虐待を受けて育った永山則夫元死刑囚が1968年、奪った拳銃で4人を射殺した事件。逮捕後に獄中で猛勉強し「無知の涙」など数々の文学作品を発表した。一審は死刑。二審は「愛情面、経済面で極めて貧しい環境に育った」などとして無期懲役。83年に最高裁が原判決を破棄、90年に死刑が確定した。最高裁は、死刑適用の基準として犯罪の性質や動機、残虐性など九つの要素を示した。この「永山基準」が死刑の基準とされる。