(筆洗)女優のジャンヌ・モローさんが亡くなった。八十九歳。- 東京新聞(2017年8月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017080202000159.html
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女優の吉行和子さんにこんな質問をしたことがある。女優と言われたいか。俳優と言われたいか。「あたしは俳優よりも女優かな。なんかいいじゃない、女優って」
新聞社の中には「女優」という表現に慎重な意見もある。それは性別を強調した表現であり「俳優」と言い換えた方がよいのではないか。よく分かる。けれども、女優と俳優では、吉行さんのおっしゃる通り、やはり「なんか」が違い、女優と呼ばれたい人もいる。
この女性も強いまなざしで「こっちね」とささやくと想像している。女優のジャンヌ・モローさんが亡くなった。八十九歳。
突然炎のごとく」(一九六二年、フランソワ・トリュフォー監督)の自由奔放にして繊細なカトリーヌ。「死刑台のエレベーター」(五七年、ルイ・マル監督)でマイルス・デイビスのトランペットが流れる中、深夜のパリを歩くフロランスを思い出し、ため息をつくファンもいるか。自分の顔が嫌いだったと聞くが、信じられぬ。
「女の愛の武器のすべてを女優は機能させる」。作家マルグリット・デュラスに語っている。女性であることの喜び、覚悟、情熱。やはり女優と呼ぶべきである。
父親はこの道に反対した。「私の人生は自分が正しかったと、父に証明するためにある」。今、父親とテーブルをはさんで座っている。まだ黙っている。そんな白黒の場面が浮かぶ。