核のごみ処分 「トイレなき原発」直視を - 朝日新聞(2017年7月31日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S13064229.html
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原発の使用済み燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分地について、政府が「科学的特性マップ」を公表した。
火山や活断層、地下資源の有無など自然条件から全国を「好ましい」と「好ましくない」に大別しつつ4区分した。住まいや故郷がある市区町村が気になって調べた人もいるだろう。
ひと安心、心配、警戒……。国土全体の6割もが「好ましい」とされただけに、「私の所は関係ない」と、ひとごととして受け流したかもしれない。
■ひとごとではなく
マップが問いかけることを、改めて考えたい。
日本で商業原発の運転が始まって半世紀がたった。抱える使用済み燃料は2万トン近い。
その燃料から出る高レベル放射性廃棄物は、放射能が十分安全なレベルに下がるまでに数万年〜10万年を要する。だから、地下300メートルより深い地層に運び込み、坑道を埋めてふさぎ、ひたすら自然に委ねる。それが政府の考える最終処分だ。
人間の想像力を超えた、途方もない未来にまで影響が及ぶ難題だが、避けては通れない。にもかかわらず、処分をあいまいにしたまま原発が生む電気を使い、恩恵だけを享受してきた。原発が「トイレなきマンション」とたとえられるゆえんだ。
いつまでも先送りはできない。マップは国民一人ひとりにその重い現実を突きつける。
調査受け入れの公募が始まったのは2002年。07年には高知県東洋町が手をあげたが、住民の反発で撤回した。政府は2年前に閣議決定した新たな基本方針で「国が前面に立って取り組み、調査への協力を自治体に申し入れる」とうたっている。
しかし、根本的な疑問がある。いまの原子力政策の維持・継続を前提に、最終処分地問題を進めようとしている点だ。
脱原発の道筋を
使用済み燃料を再処理してプルトニウムやウランを取り出し、燃料に使う。残った廃棄物をガラスで固め、最終処分地に埋める。これが核燃料サイクルの概要である。
しかし、サイクル事業の破綻(はたん)は明らかだ。1兆円超をつぎ込みながら、失敗続きで廃炉に追い込まれた高速増殖原型炉「もんじゅ」がそれを象徴する。
最終処分地が決まったフィンランドスウェーデンは、使用済み燃料をそのまま廃棄物として埋める「直接処分」を採用している。日本も現実的に対応していくべきだ。
そして、原発を動かせば使用済み燃料も増えていくという事実を直視しなければならない。
マップができたとはいえ、最終処分は候補地が見つかっても調査だけで20年程度かかるという。使用済み燃料をできるだけ増やさないために、並行して脱原発への道筋を示すことが不可欠である。
処分すべき廃棄物の量の上限を定め、それ以上は原発を運転させないという考え方は検討に値する。原発を守るために最終処分地を確保するというのでは、国民の理解は得られまい。 経済産業省原子力発電環境整備機構は今後、「輸送面でも好ましい」とされた海側の地域を中心に対話に取り組み、調査の候補地探しを本格化させる。
注文がある。最終処分地を巡って想定されるリスクや不確実性を包み隠さず説明する。そして、経済面の恩恵や地域振興と引き換えに受け入れを迫るような手法をとらないことだ。
■過去の教訓に学べ
経産省と機構は、マップ公表に先立つ一般向け説明会などで「(廃棄物を地中に埋める)地層処分は技術的に確立している」と繰り返し、10万年後のシミュレーション結果を示しながら安全性は十分と強調した。
だが、万全を期してもリスクはゼロにはならない。「安全神話」から決別することが、福島第一原発事故の教訓だ。
欧米と違って日本列島は火山や地震が多い。最終処分に関して日本学術会議は12年、「万年単位に及ぶ超長期にわたって安定した地層を確認することは、現在の科学的知識と技術的能力では限界がある」と指摘した。
調査を受け入れる自治体には、最初の文献調査で最大20億円、次の概要調査では最大70億円の交付金が入る。自治体にとって魅力的な金額だろう。
かつての原発立地では、受け入れと引き換えの交付金が地元にさまざまな功罪をもたらした。廃炉まででも100年以内に一区切りつく原発と比べ、最終処分地の受け入れは数万年先という遠い将来の世代にかかわる重い判断となる。一時的な経済メリットで誘導するのではなく、納得を得る努力を尽くすことがますます大切になる。
処分地選びは原発政策と切り離せない関係にあり、政策への国民の信頼がなければ進まない。福島の事故で原発への信頼が失われた以上、政策の抜本的な見直しが欠かせない。