(余録)歌舞伎で「見得を切る」というのは… - 毎日新聞(2017年7月26日)

https://mainichi.jp/articles/20170726/ddm/001/070/199000c
http://archive.is/2017.07.26-011349/https://mainichi.jp/articles/20170726/ddm/001/070/199000c

歌舞伎で「見得(みえ)を切る」というのは正しい言い方ではないと演劇評論家渡辺保(わたなべたもつ)さんが書いている。本来は「見得をする」だが、瞬間の激しい力にぴったりな「切る」という語感が一般に受け入れられたようだ。
渡辺さんは見得の3条件を挙げている。体の動きの頂点で静止する「きまり」、鋭い眼光であたりを圧する「にらみ」、体と一体になって高潮する「思い入れ」である(「歌舞伎のことば」大修館書店)
森友(もりとも)・加計(かけ)問題で「かかわっていたら責任を取る」と言い切った安倍晋三(あべしんぞう)首相の見得で勢いづいた野党の追及だった。首相は「印象操作」「関係なかったら責任を取れるか」と反撃し、内閣支持率の高さまで口に出して見得を切った。
しかしこの見得、証拠となる記録すら示せない「きまり」の悪さである。逆に「にらみ」を利かせたはずの役所からは疑惑の文書や証言が次々に出た。いきおい「思い入れ」は思い上がりではないかと、世上の評判はさんざんだった。
不評が内閣支持率急落に及び、首相も一転、低姿勢で臨んだ衆参委の閉会中審査である。加計問題では「疑惑の目はもっとも」と従来の態度への反省を示す様変わりだった。だが言葉の丁寧(ていねい)さが説明の丁寧さを意味するわけでもない。
大向こうを驚かせたのは、加計学園獣医学部新設申請を今年1月20日まで知らなかったとの首相の答弁である。以前の答弁と食い違う大見得に野党が色めき立つのは当然だろう。ますます幕引きが遠ざかる「きまらぬ見得」の誤算劇だ。