(余録)極微とは仏教用語で… - 毎日新聞(2017年7月23日)

https://mainichi.jp/articles/20170723/ddm/001/070/203000c
http://archive.is/2017.07.23-010435/https://mainichi.jp/articles/20170723/ddm/001/070/203000c

極微(ごくみ)とは仏教用語で、それ以上分割できない物質の最小単位を指す。滋賀県の重症心身障害児施設「びわこ学園」で1960年代に製作された記録映画「夜明け前の子どもたち」は最初、「進歩における極微の世界」という題名だった。
終戦直後、仲間と施設を創設した糸賀一雄(いとがかずお)氏は障害者福祉の父と呼ばれる。映画には、施設の療育者は子供の小さな進歩や変化を見逃さない目を養おうとの思いが込められていたという。
相模原市の障害者施設で入所者19人が命を奪われた事件から間もなく1年になる。「障害者なんかいなくなればいい」。加害者のゆがんだ思考を社会はどう受け止めてきたか。
月刊誌「世界」の4月号で自身も障害者の医師、熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)さんが語っている。現代社会はあす自分が必要とされなくなる不安を誰もが抱える。加害者に同調する人たちには自分の中にあるこうした感情にふたをするように、より弱い人を排除してしまう人がいるのではないか、と。
そのうえで熊谷さんはこうも言う。障害の有無に関わらず、多くの人がそんな思いを抱えているからこそ「その不安を否定さえしなければ連帯できるようになると思う」
障害児の「極微」を見つめ続けた糸賀氏は気づく。「この子らに世の光を」とあわれむ対象ではなく、彼らは自ら輝く力を持っていた。むしろ「この子らを世の光に」。事件後にこの言葉がインターネット上に拡散し、自らの価値観を問い直す人たちが増えた。そこに一筋の光を見る思いがする。