朝鮮学校無償化 子の救済は大人の責任 - 東京新聞(2017年7月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017072102000147.html
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いわば大人の都合で、子どもの学びの機会に格差が生じるのは残念でならない。広島地裁は、朝鮮学校を高校無償化の対象から外した国の処分を適法と判決した。大人の責任で実現せねばならない。
広島朝鮮高級学校を運営する広島朝鮮学園と卒業生らが、処分の取り消しや損害賠償を国に求めた裁判だ。判決は、国側の主張を認め、原告側の全面敗訴となった。
東京、名古屋、大阪など全国五カ所で係争中の同種訴訟で初めての判決だった。原告側は、司法が恣意(しい)的な行政判断に追随したことは民族差別を助長すると反発し、控訴する考えだ。
高校無償化制度は、民主党政権の目玉政策として二〇一〇年に導入された。現行では一定の収入に満たない家庭の高校生に対し、就学支援金が支給されている。
学校教育法上、各種学校とされる外国人学校文部科学相の指定を受ける必要がある。だが、自民党政権に交代してから、朝鮮学校は制度の対象から除外された。
問題の根っこは、子どもに代わって学校側が就学支援金を受け取る代理受領の仕組みにあろう。
朝鮮学校は、北朝鮮在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)の影響下にあり、無償化の資金が授業料に充てられないことが懸念されると、国側は主張していた。
とはいえ、無償化制度の理念は、学校運営そのものの支援ではない。すべての高校生が家庭の収入にかかわらず、学ぶ機会に等しくアクセスできるよう、社会全体で負担を分かち合うことである。
その理念を重視し、責任のない卒業生らの救済に動こうとした形跡は、広島地裁の判断からは読み取れなかった。国側と学校側との相互不信の谷間に、個々の子どもが落ち込んでいるように見える。
高校に当たる高級部では、日本で生まれ育った千三百人余りが学んでいる。日本の大学の多くは、卒業生に受験資格を認めている。国側はこうした現実を踏まえ、就学支援金が確実に授業料に使われる仕組みを勘考できないものか。
北朝鮮は核やミサイルを開発し、日本人拉致問題の解決には後ろ向きだ。朝鮮総連を含め、国民が注ぐまなざしは厳しい。
本来、子どもの教育に政治的、外交的な問題を絡めるべきではない。だが、朝鮮学校の教育内容や財務、人事といった運営を巡る疑念が晴れない限り、税金投入に国民の理解は得られにくい。子どもの学ぶ権利の救済、機会の保障はもちろん、大人の責任である。