公文書管理のルール 権力者のためではない - 毎日新聞(2017年6月26日)

https://mainichi.jp/articles/20170626/ddm/005/070/025000c
http://archive.is/2017.06.26-071749/https://mainichi.jp/articles/20170626/ddm/005/070/025000c

公文書は国民の共有財産だ。保存の対象について、時の権力者が勝手に決めていいものではない。
学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を巡り、萩生田光一官房副長官が早期開学を文部科学省に迫ったとする文書について、菅義偉官房長官が、行政文書ではなく個人のメモとの認識を示唆した。
政府は、保存や公開の対象になる行政文書の範囲を、自分の都合で狭めようとしているのではないか。
行政文書ではないと判断されれば、情報公開の対象にもならない恐れがある。菅氏の発言は、不用意に文書を残すなと役所に圧力をかけているようにしか聞こえない。
公文書管理法は行政文書を、省庁の職員が作成・取得▽組織的に用いる▽省庁が保有、と定義する。文書を残すのは、行政の意思決定過程を後に検証できるようにするためだ。
一定期間後に公開される決まりになっていれば、不自然なことはしにくい。公文書の適正な管理は、行政の公正さを保つためでもある。
今回の文書は、文科省の共有フォルダーにあった。作成者の認識がどうであれ、管理法の規定に照らせば行政文書にほかならない。
仮に当該文書の記載内容が正確さを欠いていたとしても、保存・公開することと、事実の確認は分けて考えなければならない。
こうした管理法の趣旨が政府内に浸透していないのは明らかだ。安倍晋三首相は、民主主義に必要なルールとして徹底させるべきだろう。
菅氏の発言とは別に、個人メモと言い逃れできるような管理法の抜け穴をなくすことも求められる。
学校法人「森友学園」への国有地売却問題では財務省が値下げ交渉の記録を廃棄していた。保存期間が1年未満になっていたためだ。
専門家は、保存期間1年未満の文書の扱いが不透明だとして廃棄要件の見直しの必要性を指摘する。
米国では、ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件の証拠テープも公開された。当局が困る記録も保存され、年限を過ぎると公開するルールが根付いている。
管理法と情報公開法は、車の両輪のように「国民の知る権利」を支えるものだ。安倍政権は公文書管理の意味をはき違えてはならない。