(筆洗)その車は国民の意見対立によって動いている。その車とは現政権である。 - 東京新聞(2017年6月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017062602000139.html
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苦しみもだえる男になおも鞭(むち)をふるう。「どうだ、もうちょっといけそうか」。聞いているのは車の御者。この車は人間の苦痛で発電し動く。ときどき、神経が麻痺(まひ)して痛みを感じなくなってしまい、動かなくなる。劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの『祈りと怪物』にそんな場面があった。
あの車が苦痛ならこの車は何で動くか。その御者は国民の支持の高さというかもしれぬが、その車は国民の意見対立によって動いている。そう見える。
その車とは現政権である。愚かな空想であればよい。しかし首相が最近、今秋の臨時国会閉幕前に自民党改憲案を憲法審査会に提出したいと表明したあたりに、どうしたって疑いは強まる。
その車の動かし方はこうである。国民の間で賛否の分かれる難問を提示する。当然、意見は対立し、賛否双方で憎しみに近い感情が醸成されるのだが、その対立が強まるおかげで、首相は何割かの強固な支持を確実に手にできる。
それが政権の動力源であり、何があろうと一定の支持率を維持できる秘密かもしれぬ。特定秘密保護法、安保法、共謀罪。今度は自民党改憲案。休むことなく国民を揺さぶり続けているのは休めば、その車は動力源を失い、止まってしまうせいだろう。
「どうだ、もうちょっといけそうか」。御者の問いに国民はもうそのやり方にへとへとになっていると答える。