大田さん逝く「沖縄と日本」問い続け - 朝日新聞(2017年6月14日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12986084.html
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沖縄県の知事だった大田昌秀さんが亡くなった。
多くの人の記憶に残るのは、95年の光景だろう。米兵による少女暴行事件に抗議する県民総決起大会。集まった約8万5千人の映像に目を奪われ、本土に住む多くの人も、メディアも、米軍基地への沖縄の怒りの大きさに初めて思い至った。
先頭にいたのが知事2期目の大田さんだった。「平和を求める沖縄の心」を発信し、政府と対決する。基地の整理縮小や日米地位協定の改定など、重い扉をこじ開けようと取り組み、いまに至る問題を提起した。
戦世(いくさゆ)からアメリカ世(ゆ)、そしてヤマト世(ゆ)へ。92年にわたる人生は、戦争から米軍による統治を経て復帰に至る、沖縄の激動の歴史そのものだった。
19歳で動員された沖縄戦では多くの学友が命を失った。72年前の今ごろは米軍に追われ、本島南部にいた。昨日まで徹底抗戦を叫んでいた軍人が民間人を装って壕(ごう)を脱出する。当時の経験から、「軍隊は住民を守らない」と繰り返した。
戦後は、留学先の米国でデモクラシーの薫風を浴びた。一方で、黒人などマイノリティーの存在に目を開かされ、それは必然的に「日本にとって沖縄とは何なのか」という生涯をかけた問いにつながった。
大田さんは、沖縄の歴史をふまえた多くの本を書いた。実感をこめて、繰り返し引用した米国人研究者の言葉がある。
「日本の政府は、あらゆる方法をもって琉球政府を利用するが、琉球の人々のために犠牲をはらうことを好まない」
なぜ本土防衛の「捨て石」として、12万人もの県民が沖縄戦で死なねばならなかったのか。なぜ国土面積0・6%の小さな島に、全国の7割の米軍基地が置かれているのか。
多数のために少数者の犠牲はやむを得ないという考えを批判し、米軍用地の代理署名をめぐる訴訟では、最高裁大法廷でこう陳述した。「安保条約が日本にとって重要だと言うのであれば、その責任と負担は全国民が引き受けるべきではないかと思っています。そうでなければ、それは差別ではないか」
あれから約20年。ほぼ同じ言葉を翁長雄志知事が語ることに改めて驚き、政治の無策を恥じる。かつての政府与党には沖縄に心を寄せる政治家が少なからずいた。いま安倍政権は辺野古移設の方針は「1ミリも動かさない」と言ってはばからない。
6月は沖縄にとって鎮魂の月。平和の礎(いしじ)に名を刻む学友たちのもとへ、永遠に旅だった。