憲法改正「安倍首相の個人的な思い込み」 小田嶋隆さん - 朝日新聞(2017年5月19日)

http://digital.asahi.com/articles/ASK5L5FHTK5LUTIL02X.html
http://megalodon.jp/2017-0520-1022-37/digital.asahi.com/articles/ASK5L5FHTK5LUTIL02X.html

安倍首相が5月3日、改憲派の集会によせた、「2020年新憲法施行を」と訴えるビデオメッセージ。コラムニストの小田嶋隆さん(60)は「この文章は、日本の国語教育の結実です」と言う。そのココロは――。

     ◇

首相のメッセージは、緻密(ちみつ)に読むと意味が分からない文章です。新聞記者さんは職業柄、論理的整合性を気にしますが、私たちが日本の国語教育で求められてきた読解力とは、論理的帰結ではなく、「この人物の気持ちを読み取れ」「作者の真意は何か」といったものです。つまり、このメッセージは、書き手の真意を「忖度(そんたく)」する日本人の日本語の読み方の結実のようなものなんです。
では、この作者(首相)の狙いは何でしょう。論理的に一つ一つつめて、憲法をこう変えましょう、ということではなく、「新しく生まれ変わるんだから、新しくしましょうよ」「せっかく引っ越したんだから新しい冷蔵庫を買いましょうよ」みたいな。論理的にはつながらないけれど、気分的にはよくわかる。雰囲気で、改憲まで持って行こうということだと思います。
これに「五輪」を絡めたのは上手です。様々な立場の人を説得するのに、五輪は有効なフックになる。結婚式場で「一生に一度のことですから」と言われれば、つい料理のランクを上げたり、このオプションも、となったりしてしまう。あの不気味なセールストークと似て、否定しにくい。
これまでの発言と、今回のメッセージを読んで改めてわかったことは、安倍首相にとっての憲法改正は、日本社会の現状や具体的な課題とは関係ない、祖父・岸信介さんから受け継いだ「個人的な思い込み」ということです。だから、メッセージを読んでも、憲法改正が必要な合理的な理由は見えてこない。
岸信介さんの世代の政治家が、米国の占領政策に対していつかこの屈辱を晴らしたいと、憲法改正を党是としたことは当時の心情としては理解できます。戦争に負けたから仕方が無いのですが、海の向こうからやってきて土足で上がり込んできた、ような面がありますから。ただ、頭の切れる、リアリストとしての岸さんは、米国が押しつけてきたものものみこんで、現実の政治を優先した。岸さんならいま、日本国憲法は日本にとって悪い憲法じゃなかった、憲法があったからこそ日本はこれだけの経済大国になれた、ということを認めるでしょう。
でも、孫の安倍さんは、祖父が持っていたリアリズムではなく、何十年も経ったのに怨念だけを相続してしまった。だから、憲法を変える理由は個人的な思いでしかなく、現実と乖離(かいり)しているんです。
安倍さんは、憲法改正の動機として、「少子高齢化」「人口減少」「経済再生」「安全保障環境の悪化」をあげて「我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません」と語っています。これは、国会議員が選挙区に帰って駅前で演説するときに、お題目的に唱えるものと同じです。駅前演説なら「危機感を持って国政にあたります」ということでいいのですが、憲法改正の文脈とは関係ない。この国の閉塞(へいそく)感をとにかく全部、憲法のせいにしたい、憲法を悪者にしたいという印象です。
メッセージには「未来」という言葉が10回登場します。「未来への責任」「国の未来」などです。いまの憲法を過去のものとして閉塞感の犯人に仕立て上げ、対照的に「新憲法=未来」という役柄を演出しているようにみえます。
3行でまとめろ!といわれれば、いままでの憲法は過去で、新しい憲法は未来なんだ、ということでしょう。
最後にもう一つ。安倍首相は「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです」と言い、憲法の定義そのものを変えたところから話をしています。そういう部分がないとは言いませんが、これはおかしい。憲法とは、権力に対するくびき、権力の暴走を防ぐために書いておくべきものだから、です。

     ◇

おだじま・たかし 1956年生まれ。政治や社会、インターネット、スポーツなど幅広い分野の問題について、コラムで鋭く批評。サッカーが大好き。近著に「ザ、コラム」「超・反知性主義入門」。(聞き手・木村司)