憲法70年 首相は身勝手が過ぎる - 朝日新聞(2017年5月11日)

http://www.asahi.com/articles/DA3S12931045.html
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きょう予定されていた衆院憲法審査会の開催が見送られる。安倍首相の憲法改正をめぐる発言に野党が反発した。改憲を悲願とする首相のふるまいが、国会での議論を停滞させている。皮肉な話である。
首相は先週、9条に自衛隊の存在を明記し、2020年に改正憲法の施行をめざす考えを、読売新聞のインタビューと憲法記念日改憲派集会に寄せたビデオメッセージで示した。
だが、そもそも憲法のどの条項をどう変えるかを国民に発議する権限を持つのは国会だ。
行政府の長である首相が、その頭越しに具体的な改憲項目や目標年限を示せば、与野党を超えた幅広い合意をめざしてきた憲法審が混乱するのは当然である。
それでも首相が改憲という重大な発信をした以上、国会の場でその狙いや中身をただすのは野党の当たり前の仕事だ。これに誠実にこたえ、真意を説明する責任が首相にはある。
だが国会での説明責任を、首相はあまりにも軽く見ている。
衆院予算委員会で発言の意図を問われた首相は、国会審議には首相として出席しており、インタビューなどは自民党総裁として語ったことだと答弁。「自民党総裁の考え方は読売新聞に書いてある。ぜひ熟読していただいてもいい」と述べた。
首相と自民党総裁の肩書の、なんとも都合よい使い分けである。国会議員の背後に多くの国民の存在があることを忘れた、おごった発言だ。
野党の質問の多くにまともに答えない一方で、首相は「民進党も具体的な提案を出していただきたい」と挑発した。
これも、手前勝手な「自己都合」の押しつけである。
報道各社の世論調査を見ても国民の大半が改憲を望む状況にはない。なのになぜ、野党が改憲案を示す必要があるのか。
首相は国会で「(改憲発議に必要な衆参の)3分の2を形成し、かつ国民投票過半数を得ることができる案はなにかを考えるのが、政治家の責任ある行動だ」と述べた。
首相が、日本維新の会が掲げる教育無償化を改憲項目にあげたのはそのためだろう。3分の2を確保するために「教育」を道具に使う。そんな政局的思惑が見える。
自らの自民党総裁3選を視野に、東京五輪が開かれる2020年に、首相として改正憲法を施行したい――。首相は結局、自己都合を自公維の数の力で押し通すつもりなのか。
1強の慢心というほかない。