憲法70年 教育をだしにするな - 朝日新聞(2017年5月10日)


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本気で取り組む気があるのなら、できるところからどんどん実行すればいい。わざわざ憲法を持ち出す意図は何なのか。
安倍首相が高等教育(大学)の無償化を憲法にうたうことに前向きな姿勢を示した。
日本は教育支出を家計負担に頼る割合がきわめて高い。
たとえ貧しくても、意欲と能力があれば、高校や大学に進める。夢をかなえる道が公平に開かれている――。そんな社会をめざすこと自体に、ほとんどの人は異論がないだろう。
けれども、国民が求めているのは「教育無償化」であって、「教育無償化を口実とした改憲」ではない。世論調査の結果からも、それは明らかだ。
そもそも無償化は改憲しなくてもできることだ。憲法26条は「義務教育は、これを無償とする」と定めるが、範囲を広げることを禁じてはいない。
だからこそ、民主党政権で高校無償化が実現した。それを、ばらまきだ、投資に見合う効果がないと批判し、所得制限をつけたのは安倍政権ではないか。
その後の教育機会を保証する政策も十分とは言いがたい。
大学や短大などに進む学生向けに、返さなくていい「給付型奨学金」の導入がやっと決まった。だが、対象は1学年あたり約2万人だけ。所得の低い家庭から進学する若者の3分の1しかカバーできない。
また、自民党が無償化を公約に掲げてきた幼児教育に目を向けると、たしかに低所得や一人親の家庭などを優先した無償化が段階的に進んではいる。だがそれ以前に保育園の絶対数が足りず、割高な認可外の施設に通う子どもが18万人近くいる。
文部科学省の試算によると、幼児教育から大学までの無償化を実施するには、追加でいまの文教予算とほぼ同じ規模の4兆円強がかかる。一方で年金や介護にも多額のお金が要る。
消費増税を2度も先送りした政権は、こうした財源をどうやってまかなうつもりなのか。首相が憲法改正にまで踏みこむ以上、確保の道筋を示し、国民に相応の負担をする覚悟を求めなければ、無責任に過ぎる。
改憲による「全ての教育の無償化」は、もともと日本維新の会が掲げてきた。維新を取り込む手段として教育を持ち出し、9条改定につなげる狙いであれば、有権者憲法をあまりにもないがしろにした行いだ。
無償化は法律の制定と予算の手当て、つまり政権担当者の意欲次第で実現できる。首相が改憲の目標とする2020年まで待つ必要は、まったくない。