憲法の岐路 朝日事件30年 自由な言論、守るために - 信濃毎日新聞(2017年5月2日)

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1987年5月3日、憲法記念日の夜、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が銃を持った男に襲われ記者1人が死亡、1人が重傷を負った。犯人は捕まらないまま時効になっている。
あすで30年になる。この機会に、言論に対するテロの歴史を振り返りつつ、暴力に屈しない決意を固め直したい。
87年から90年にかけ「赤報隊」を名乗る犯人が起こした事件の一部である。朝日新聞関連では東京本社の銃撃、名古屋本社の社員寮襲撃などがある。
ほかに2人の元首相に脅迫状が届き、江副浩正・元リクルート会長宅が銃撃された。いずれも赤報隊名の犯行声明が出ている。
すべて未解決だ。これだけ凶悪、重大な事件が解明されていないのは残念だ。
陰惨なテロの数
阪神支局の事件以降2000年代にかけて、言論に対するテロが相次いだ。90年、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した本島等長崎市長の銃撃。93年、皇室報道を巡り宝島社と文芸春秋社長宅に発砲。2006年、A級戦犯靖国合祀(ごうし)に対する天皇の不快感を報じた日本経済新聞本社に火炎瓶―。数ある事件の一部である。
阪神支局事件の犯行声明にこんな言葉がある。
反日朝日は50年前にかえれ」
事件から50年前の1930年代はテロと暴力が吹き荒れた時代だった。海軍将校らが犬養毅首相を「問答無用」と射殺した五・一五事件(32年)、陸軍将校が約1400人の兵を率いて決起し高橋是清蔵相らを殺害した二・二六事件(36年)。二つのクーデター事件は軍に対してものを言えない空気を醸成した。それは戦争への地ならしでもあった。
テロ、暴力が大手を振る時代に戻るわけにはいかない。
今の憲法は言論・表現の自由を手厚く保護している。
〈集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する〉
21条である。教育を受ける権利や居住の自由規定に付けられている「公共の福祉に反しない限り」「法律の定めるところにより」といった留保条件はない。
国民が自由にものを言えないようでは民主制は成り立たず、健全な社会は維持できない。そのための憲法による保障である。
憲法施行から70年が過ぎて、自由な言論の足元がいま掘り崩されつつあるように見える。
嫌な空気がある。気に入らない発言に罵声を浴びせる、暴力を使って黙らせる…。
2年前、安保法に反対する大学生らのグループSEALDs(シールズ)の中心メンバーに殺害を予告するような脅迫状が届いた。その前年には、従軍慰安婦報道に携わった朝日新聞の記者OBが勤務する大学に「辞めさせろ」などの脅迫文が送り付けられた。
政治からの介入
日中、日韓関係の改善を主張する新聞を「反日」「売国奴」とののしる記事が、大部数の週刊誌に載ったりもする。
政治権力を背景にした報道への介入も、第2次安倍晋三政権以降、後を絶たない。
自民党は前回の総選挙の前、在京テレビ各局に対し、選挙報道では「中立公平」にするよう要請した。放送の自由をうたう放送法に反する行為だった。
政府の基地政策に批判的な記事を載せ続ける沖縄の2紙を「つぶさなあかん」と述べたのは、安倍政権がNHKに経営委員として送り込んだ作家だった。自民党の会合での発言である。
憲法が国民に表現の自由を保障しているのは国民が権利の主体だからだ。国民が必要とする施策を政府にやらせるため、政府に勝手なことをさせないために、表現の自由はある。
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで、日本は対象180カ国・地域のうち72位。先進国の中で最低である。特定秘密保護法施行や安倍政権による報道介入により順位が下がった。
日本の言論状況は国際標準に照らして多くの問題を抱えている。そのことに危機感を持ちたい。
歴史の反省踏まえて
私たち日本のメディアはかつて国策に追随して戦争に協力した苦い経験を持っている。行き着いた先が沖縄戦や広島・長崎の悲劇だった。長野県からは、政府の意を体した報道に背中を圧される形で大勢が満蒙開拓団として旧満州に渡り、苦難を強いられた。
歴史の反省を踏まえ、政治が間違った方向に向かわないよう監視しつつ、正確でバランスの取れた情報を提供する役目をメディアは国民から課されている。私たちはそう考えている。
正体不明の勢力による暴力であれ政治の圧力であれ、屈するわけにはいかない。