(余録)「頭に法律規定を… - 毎日新聞(2017年4月29日)

https://mainichi.jp/articles/20170429/ddm/001/070/112000c
http://archive.is/2017.04.29-005343/https://mainichi.jp/articles/20170429/ddm/001/070/112000c

「頭に法律規定を戴(いただ)き、官吏(かんり)や郡村吏員に干渉左右せられ、議員には減俸を督促せられ、父兄には小言(こごと)を吐かれ、内には妻子の餓(う)えの訴えを聞き、教場にのぞむもなお教授管理の法さえ他人に蹂躙(じゅうりん)せられんとす」
これは明治時代の小学校教員の嘆きという。なかでも「妻子の餓え」とあるようにわずかな給与は家族を養うのも難しかったようだ。このひどい待遇が明治後期から大正にかけて結核が教師の職業病といわれる事態を生みだしていく。
著書「結核の社会史」のある青木純一(あおきじゅんいち)日本女子体育大教授の論文によると、肺結核による教員の死亡率は平均の3倍を超えていた。また明治中期の服務規則は執務時間を週36時間以下としていたが、実際は無制限の服務義務があった。
今の実態は週平均「63時間18分」という。昨年度の中学校教諭の勤務時間である。過労死ラインにあたる週60時間を超えて勤務した教員が6割近くにのぼり、週80時間以上も8・5%いた。過労死が職業病となりかねない水準である。
10年前の調査よりも大幅に勤務時間が増えたのは、土日の部活動の倍増などによる。小学校でも傾向は同じで、ともかく先生がどんどん忙しくなっていくのである。学校のブラック職場化は人材のリクルートにも影を落としかねない。
日本の教員の勤務時間の長さは先進国の中でも突出するが、公的教育費の割合は最下位に近い。「教師を無権力なる卑屈者とし、いかに国民教育の実(じつ)を挙げんとするか」。冒頭の明治の嘆きの一文は憤る。