(余録)奈良の興福寺は法隆寺と並んで… - 毎日新聞(2017年4月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/001/070/145000c
http://archive.is/2017.04.18-001206/https://mainichi.jp/articles/20170418/ddm/001/070/145000c

奈良の興福寺法隆寺と並んで国宝の仏像の収蔵数は日本一だが、明治初めの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)では廃寺寸前だった。寺僧全員が還俗(げんぞく)してしまい、今や奈良を象徴する国宝の五重塔も危うく焼却されそうになったという。
五重塔は二百五十円で買い手がついたが、焼き払って金物だけ取っても二百円にならないと沙汰(さた)やみとなった。三重塔は自分が三十円で買って遊び場所にと思ったが、兄に諫(いさ)められて諦めた」。後年、地元紙で当時の人が回想した。
一説にはこの時に五重塔は観光客を呼べるから残した方がいいという意見もあった。長い時の試練をくぐりぬけた一国の至宝を見ても、売り物にならぬ古材から金物を取り出す算段や、観光客の落とす金しか思い浮かばない人もいる。
こちらは後者の流れを継ぐ閣僚の「一番のがんは文化学芸員」発言である。学芸員文化財保全や研究にあたる専門職だが、山本幸三(やまもとこうぞう)地方創生担当相はこの人たちが観光客へのサービス精神を欠くと、講演で「一掃」を訴えたのだ。
文化財保護とその公開の仕方とのジレンマは時に論議のあるところだが、当人は発言が物議をかもすとすぐ撤回して謝罪した。つまり学芸員の何たるかもよく知らぬまま、観光振興のかたき役に仕立てて座のウケを狙ったようである。
五重塔も観光のおかげで破壊を免れたかもしれないから、文化財の見せ方に工夫をこらすのは結構である。だが文化財の価値を熟知し、それを子孫に手渡そうという専門家は頑固なくらいでちょうどいい。