<新高校生>虐待、非行越え合格 17歳、夢は教師 - 毎日新聞(2017年4月3日)

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親からの虐待や貧困を乗り越え、4月から高校生として新たな一歩を踏み出す17歳の少年がいる。生まれた時から施設を転々とし、非行に走った。少年院にも入ったが、親身に更生を手助けしてくれる大人たちと出会い、教師になるという夢ができた。「過去は変えられないけど、未来は変えられる」。自分と同じ境遇にいる子どもたちに、そう教えてあげたいから。
「僕は捨てられた」。そう思って生きてきた。母親は大阪府内の自宅にいたが、物心ついた時には児童養護施設にいた。父の顔は知らない。いくつも施設を移り、自宅に帰るのは年に数回。母が作ってくれた鍋のぬくもりを、今も覚えている。
中学を卒業して農園で数カ月働き、夏に自宅に戻った。だが、母は人が変わったようだった。話しかけても無視され、食事も作ってくれない。アルバイト代や施設経由で支給された児童手当も取り上げられ、逆らうと殴られた。2カ月後、母は何も言わずに家を出て、戻ることはなかった。人生で「家族と暮らした」のは、その2カ月間だけだ。
生活は荒れた。相談できる友達もおらず、孤独に耐えかねては刃物で手首を傷つけた。服も買えず、半袖シャツに短パン姿で真冬の街をさまよい歩いた。穴だらけの靴下にサンダルでも、寒さは感じなかった。
いつも腹をすかせ、自暴自棄になって何度も警察を呼ぶトラブルを起こした。保護者がいないことも影響し、少年院に送られた。16歳の誕生日の翌日だった。「人生は終わった」と思った。
約1年後の昨年末、出院が決まったが母親は引き取りを拒んだ。少年らの更生を支援する企業の面接を受け、お好み焼き店でアルバイトをしながら寮で暮らすことになった。先輩や寮のスタッフが料理や勉強を教えてくれる。自分も練習し、仲間に手料理を振る舞うまでになった。カレー、肉じゃが、ポトフ。一緒に食卓を囲むと「家族って、こういうものか」と思えるようになった。
夢もできた。中学校の先生になり、あの時の自分のように苦しむ子を助けてあげること。バイトの合間をぬって勉強を重ね、大阪府立高校を受験した。
3月中旬、1人で合格発表を見に行った。待ちきれず、一番乗りで学校へ。全力で走って掲示板に向かい、自分の番号を見つけた。「ようやく同級生と一緒のステージに立てる」。帰り道、夕日がやけにまぶしく見えた。
4月から高校生になり、バイトを続けて大学を目指す。クラスメートはみんな年下。久しぶりの学校と仕事の両立が簡単でないことは分かっている。また挫折も経験するだろう。でも今は、自分を信じてみたい。2年遅れの春が来る。

◇親身に更生支える場を
少年院を出ても親元に戻れない子どもたちが増えている。親の経済状況や虐待、引き取り拒否など、背景や理由はさまざまだ。
犯罪白書によると、少年院を出た男女は、2005年は5023人だったが、15年は2879人に減少。一方で、親元へ帰った少年の割合は05年には男子90%、女子87%だったが、15年にはそれぞれ83%、72%に低下している。
親が引き取らないと、更生保護施設や自立準備ホームを探すが、定員は限られている。近畿地方の少年院関係者は「受け入れ先が見つからず、社会復帰が遅れる少年も多い」と打ち明ける。
大阪の飲食企業などが13年、刑務所や少年院を出た人に住み込みの仕事を提供するプロジェクトを開始。現在は約60社が加盟し、これまで60人以上を受け入れている。
少年の非行に詳しい野口善国弁護士(兵庫県弁護士会)は「貧困家庭の増加などで少年を取り巻く環境は悪くなっている。単に施設を増やすだけではなく、親身になって更生を支える場所が必要だ」と話す。【五十嵐朋子】