(余録)あるフランス人の日本報告だ… - 毎日新聞(2017年3月22日)

http://mainichi.jp/articles/20170322/ddm/001/070/154000c
http://archive.is/2017.03.22-005734/http://mainichi.jp/articles/20170322/ddm/001/070/154000c

あるフランス人の日本報告だ。「家具といえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅(いちぐう)に小さなかまど、夜具を入れる引き戸つきの戸棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る小皿が皆きちんと並べられている。これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで充分に公明正大に暮らしているのだ」
むろん幕末の話である。実際、当時の庶民の暮らしは身軽だったようだ。無理して家財を持っても、ひんぱんに起きる火事で焼けてしまうと分かっていた。わずかな家財もリサイクルしながら使い回した昔の日本人である。
その日本人が欧米の文明に乗り換えて1世紀半、家にモノがあふれ、時には生活がモノに振り回される今日だ。そして体力や生活意欲の衰えなどでごみの処分ができなくなった高齢者が不要なモノに埋もれて暮らす「ごみ屋敷」「ごみ部屋」が各地で問題化している。
自治体によってはお年寄りらのごみ出しを支援する制度があり、その利用者が増え続けているという。埼玉県所沢市の場合はこの10年で取り扱いが3倍になったが、ニーズはまだまだ潜んでいるようだ。なのに支援制度のある自治体はまだ全体の4分の1に満たない。
ごみ屋敷問題の背景の一つには、人間関係の孤立などから自分自身への関心を失い、身の回りのことができなくなるセルフネグレクト(自己放任)の広がりがある。ごみ出し支援はセルフネグレクトの防止につながり、また長期的支援の端緒になるものと期待される。
家にろくにモノがなかった昔はまた近隣同士の開けっぴろげな暮らしで欧米人を驚かせた。あふれるモノと孤立した人と−−思えば遠くに来たものである。