(余録)ヒトラーの迫害を受け… - 毎日新聞(2017年3月8日)

 
http://mainichi.jp/articles/20170308/ddm/001/070/136000c
http://archive.is/2017.03.08-003614/http://mainichi.jp/articles/20170308/ddm/001/070/136000c

ヒトラーの迫害を受け米国に移住したアインシュタインが、ナチに対抗して原子力研究を促す米大統領宛ての手紙に署名したのは1939年だった。本格的原爆開発のプロジェクト「マンハッタン計画」が始まったのはその3年後である。
だがアインシュタインは参加を求められなかった。FBIは彼を共産主義の手先かと疑い、「忠実な米国民ではない」と思っていたのだ。FBIは1400ページもの個人ファイルを作成していたが、間抜けなことに計画の発足に彼が関与していたのは知らなかったのだ。
戦後、アインシュタインは訪米した湯川秀樹(ゆかわひでき)に涙ながらに「原爆で罪のない日本人を傷つけてしまった」と語り、許しを請うたという。後に彼は核と戦争の廃絶、科学技術の平和利用を訴えたラッセル・アインシュタイン宣言を世界の科学者に残し、この世を去った。
この核開発をめぐるアインシュタインの苦悩に満ちた歩みが物語る今日の科学と軍事技術、政治権力の密接なからみ合いだ。科学研究の成果はどんな国でもあらゆる形で軍事利用され、軍事的要求は科学研究に介入してくる。悪くすれば研究の軍事化が進んでいこう。
戦時中の戦争協力への反省から軍事研究を禁止する声明を過去2回発表してきたわが国の科学アカデミー「日本学術会議」である。来月の総会で決議する声明案でも過去の軍事研究拒否の姿勢を継承し、「政府の研究への介入」に懸念を表明することになったという。
防衛省の研究助成が拡大する今日で、声明に拘束力があるわけでもない。しかしアインシュタインの涙を知る日本の科学界として示すべき意地もあろう。