続く迷走、苦しい弁明 PKO日報、足元からも疑問の声 - 朝日新聞(2017年2月10日)

http://www.asahi.com/articles/ASK2954JDK29UTFK00S.html
http://megalodon.jp/2017-0210-1004-31/www.asahi.com/articles/ASK2954JDK29UTFK00S.html

混乱が続く南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の日報をめぐり、稲田朋美防衛相が苦しい弁明に追われている。9日には、いったん「廃棄」とした日報が見つかったとの自身への報告が1カ月遅れだったことも明らかになった。日報に記された「戦闘」をめぐる答弁も野党から追及され続け、足元から不安の声が漏れ始めている。
混乱が続く南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の日報をめぐり、稲田朋美防衛相が苦しい弁明に追われている。9日には、いったん「廃棄」とした日報が見つかったとの自身への報告が1カ月遅れだったことも明らかになった。日報に記された「戦闘」をめぐる答弁も野党から追及され続け、足元から不安の声が漏れ始めている。
防衛省、発見1カ月後に報告
「隠蔽(いんぺい)する意図はまったくなかった」
9日の衆院予算委員会。稲田防衛相はこう述べ、防衛省が「廃棄」としていた日報が「発見」されたことについて、こう強調した。ただ防衛省は昨年末に文書を見つけながら、大臣に報告したのはその1カ月後。稲田氏は国会で、「発見されたのが昨年12月26日、私あて(の報告)が今年1月27日です」と明らかにせざるを得なかった。
昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた大規模戦闘についての日報は存在するのか。そもそも、迷走の末の文書開示だった。
ャーナリストの布施祐仁さんが「南スーダン派遣施設隊が現地時間で2016年7月7日から12日までに作成した日報」を開示請求したのは、昨年9月30日。防衛省は日報を作成する陸上自衛隊の派遣部隊と報告先の中央即応集団司令部を中心に文書を探したが、廃棄していたことを11月初めまでに確認した。
12月2日付で「すでに廃棄しており、保有していなかったことから、文書不存在につき不開示」と決定。同16日には稲田氏に「廃棄したが違法ではない」と報告した。
ところが、元公文書管理担当相の河野(こうの)太郎・自民党衆院議員のもとに、こうした経緯に関する情報提供があったことで事態が動いた。河野議員は同22日に防衛省の担当者を呼び、「電子データすら残していないのはおかしい」などと再調査を求めた。
閣僚経験者でもある河野議員からの追及に、防衛省は慌てた。「放っておくと大変なことになると騒ぎになった」(自衛隊幹部)。改めて探したところ、4日後には電子データが残っていたことが判明した。
だが、防衛省は稲田氏にすぐに報告しなかった。報告が上がったのは、2月6日に河野議員に開示する10日前。河野議員は文書を受け取るとすぐに、自身のツイッターフェイスブックで公表した。
自衛隊の制服組トップである河野(かわの)克俊・統合幕僚長は9日の定例記者会見で「発見した時点で大臣に報告すべきだった」。統合幕僚監部でどの部分を黒塗りにするかといった作業などに時間がかかったと釈明した。
同監部によると、日報の電子データを保存していた担当者は、11月に不開示を決定していいか照会された際、「7月の日報なんてとっているのかな」と思ったまま確認せず、不開示を了承していたという。
稲田氏への報告は後手に回り、文書には「戦闘」という表現もあった。それだけに、野党は「隠蔽ではないか」との疑念を強めている。社民党吉田忠智党首は「明らかに隠していた」と批判。共産党志位和夫委員長は「現地の自衛隊がどういう状況に置かれていたか明らかにすべきだ」と話した。
政府の情報開示のあり方が問われる中、稲田氏は9日、「(一連の経緯は)おかしいと思っている」と周囲に漏らし、菅義偉官房長官は記者会見で怒りをあらわにした。「あまりに怠慢。発見してまず大臣に報告すべきだった。厳重注意に値する」
■「戦闘」派遣是非に波及
「目の前で弾が飛び交っているのは事実だ。そういう状況を彼らの表現として『戦闘』という言葉を使ったと思う」
河野統幕長は9日の会見で、2016年7月11、12日付で部隊が作った日報「日々報告」を記した隊員の思いを代弁した。一方で、部隊に対してこう指導したことも明らかにした。「(言葉の)意味合いをよく理解して使うように」
河野氏の発言は、国会での政府答弁に配慮し、現場として今後は「戦闘」という言葉を使わない――という「宣言」と言える。
9日の衆院予算委では、民進党後藤祐一氏が「日報に『戦闘』と書いてあるじゃないか。一般的な用語としての戦闘はあった、ということでよろしいか」と述べ、稲田防衛相を追及。日報に複数箇所出てくる「戦闘」という表現をめぐり、認識を問うた。
「和平合意の進捗(しんちょく)は進展が乏しく、ジュバにおける両勢力の戦闘により、さらに時間を要するものと思料」「両勢力による戦闘が確認されていることから、朝方からの一部の勢力による報復等行動……」
日報が書かれた当時、大統領派と副大統領派が銃撃戦を交わして数百人が死亡するなど、12年に自衛隊南スーダンで活動を始めて以来、ジュバは「最大の混乱」(防衛省幹部)状態にあった。
だが、稲田氏は「(『戦闘行為』とは)国際的な武力紛争の一環として行われる、人を殺傷し、または物を破壊する行為」という政府の定義の説明に終始。「人を殺傷し、ものを破壊する行為はあった」と認めるものの、「客観的な事実としては、国際的な武力紛争の一環としては行われていなかった」と強調し、8日の答弁同様、日報の「戦闘」から「戦闘行為」を切り離した。
「矛盾」と受けられかねないこうした政府の姿勢には、足元からも疑問の声が出始めた。
自民党中堅は「戦時中、明らかに戦争なのに『事変』や『事件』と言い方を変えていたことと全く同じだ」と指摘。陸自幹部は「目の前で砲弾が飛び交っていれば、それは戦闘だ。その表現を使うのを問題にされても困る」と漏らした。
PKO参加5原則に抵触しないためには、政府として「戦闘行為」と認めるわけにいかない――。そんな思惑が見え隠れするだけに、防衛省幹部は「稲田氏の答弁は実体面としては厳しいが、これで言い続けるしかない」。別の防衛省幹部は「日報が見つかったことで、南スーダンPKOの是非そのものに飛び火してしまった」と漏らした。(相原亮、福井悠介、三輪さち子)
■着弾・銃撃… 南スーダン「大虐殺リスク」
南スーダンの首都ジュバで昨年7月に起きた大規模な戦闘は、キール大統領を支持する政府軍と、マシャル副大統領(当時)が率いる勢力との間で発生した。自衛隊の文書の内容は、記者が現地取材で得た情報とも合致する。
7月11日付の文書には、「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」とある。
南スーダン政府軍報道官によると、マシャル派は7月10〜11日、空港制圧を狙い、自衛隊宿営地の隣で建設中だった9階建てビルを占拠。ここからロケット砲などで政府軍を攻撃した。2日間の激しい銃撃戦の末、兵士5人とマシャル派23人が死亡した。
7月12日付文書には「今後もUN(国連)施設近辺で偶発的に戦闘が生起する可能性」「直射火器の弾着」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」とある。
国連報告や関係者によると、国連宿営地内の182の建物が銃弾やロケット弾を受け、中国部隊の隊員2人が死亡。宿営地内にいた避難民も含め、戦闘では計数百人が死亡した。国連施設付近では大破した政府軍の戦車が放置され、迫撃砲弾で吹き飛んだ家屋もあった。施設近くのホテルでは、国際NGOの職員が政府軍兵士に集団でレイプされる事件も起きた。
現在、ジュバの治安は比較的安定しているが、マシャル氏は、首都への攻撃を含めて政府軍への抗戦を呼びかけており、先は見通せない。さらに南部や北部では民族対立を背景とした戦闘が続く。国連のアダマ・ディエン事務総長特別顧問は今月7日、「(民族間の)大虐殺が発生するリスクが常に存在している」と警告する声明を出した。
治安の悪化で農業ができず、国連世界食糧計画WFP)は、国民の約4割にあたる460万人が今年、深刻な食料不足の状態になると推計する。食料をめぐって、さらなる戦闘や略奪が起きる恐れもある。
少数派民族を中心とした人々は周辺国に脱出しはじめており、南隣ウガンダには1月だけで5万2千人超が流入した。複数の避難民は今月上旬、朝日新聞の取材に「多数派民族に属する政府軍兵士が、集団で市民を虐殺したり女性をレイプしたりしている」と証言した。(ヨハネスブルク=三浦英之)