(余録)16世紀にトマス・モアが描いた理想郷「ユートピア」は… - 毎日新聞(2017年2月10日)

http://mainichi.jp/articles/20170210/ddm/001/070/134000c
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16世紀にトマス・モアが描いた理想郷「ユートピア」は生活の細部まで規制された管理社会である。理想郷の反対を「ディストピア」というが、むしろ20世紀に書かれたいくつかのSFや未来小説のディストピアに似ているのが皮肉である。
そんなディストピア小説が米国で売れている。誰もが知る明白なウソをトランプ政権高官が「もう一つの事実」と言ったのが、G・オーウェルの小説「1984年」に出てくる新語法(ニュースピーク)や二重思考ダブルシンク)を思い起こさせたのである。
おかげで「1984年」だけでなく、S・ルイスの「合衆国ではありえない」、A・ハクスリーの「すばらしい新世界」も一時ベストセラー入りした。ナチズムやスターリン体制の影を宿した前世紀の文化遺産ともいえるディストピア小説だが、時ならぬ復活となった。
日本でも小松左(こまつさ)京(きょう)の40年前のSF短編「アメリカの壁」が国境に壁を造るトランプ政権を連想させるとネットで話題になっている。小説は孤立主義の政権下で米国が突然世界との交通・通信が断たれる超常現象に見舞われる話で、内に閉じこもる米国を予見した形だ。
以前はSF的な作品によって描き出された「もう一つの世界」が、目前の現実離れした現実と重なる今日の米国である。先のルイスの小説の題名は、ナチに似た政権台頭を目の当たりにしながら米国にファシズムはありえないと自分に言い聞かせる市民の独白という。
10日にトランプ大統領と会談した後、ゴルフと5回の食事を共にして親交を深めるという安倍晋三(あべしんぞう)首相である。「もう一つの世界」に浸り込み、現実に帰れなくなるSF小説的な展開も頭をよぎる。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)

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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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アメリカの壁 (文春文庫)

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