(筆洗)人は生まれたときから「弱い者の味方」でありたいと願っているのかもしれない - 東京新聞(2017年2月1日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017020102000135.html
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皮膚病になった飼い犬をやむなく殺すことを決意する。牛肉に毒を混ぜて、そのまま立ち去る。はらはらさせたか。太宰治の「畜犬談」(一九三九年)である。
犬が心配だが、こう続く。「振り向くとポチが、ちゃんといた」。薬が効かなかった。「私」はゆるしてやろうよと妻に告げる。そして、こう語る。「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」「弱者の友なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ」
芸術家に限らない。人は生まれたときから「弱い者の味方」でありたいと願っているのかもしれない。太宰の言葉をかみしめたくなる実験結果である。京都大学のチームによると弱者を助けるという行為に対し生後六カ月の乳児が共感している可能性があることが分かったそうだ。
こんな映像を見せる実験である。強い者が弱い者を攻撃する。そこに弱い者を助けるAと助けないBが出てくる。その後に赤ちゃんにAとBの人形を差し出したところ、つかもうとしたのは圧倒的にAだった。
驚き、そして、人間には本来、「善」が備わっているのだと信じたくなる結果である。
チームにはどうか突きとめていただきたい。われわれは成長するにつれ、せっかくいただいた弱い者を助ける心を少しずつ忘れてきてしまうようなのだ。その置き忘れた場所と時刻を。